音楽雑誌、
それも専門誌と言えば
「ミュージックライフ」「ヤングギター」くらいでした。
ミュージックライフの「SUPER ROCK '84」の記事で
BON JOVIを知り
「SUPER ROCK '85」で
DIOってどんなバンドなんだろう、って思いを馳せたりしていました。
まだまだ知識が未熟だったあの頃は
ロニー・ジェイムズ・ディオがRAINBOWのボーカルだった事すら知りませんでした。
それでもそれらの雑誌にはDURAN DURANやDEAD OR ALIVEと言った
UKポップやニューウェイブ系のバンドしか掲載されておらず
僕が大好きなIRON MAIDENやACCEPTなどはまったく登場しませんでした。

写真集を買ったので
(今でも持ってますよ)
バンドの経歴やメンバーの変遷などについての
詳細を知る事が出来ましたが
そのために
他のバンドの写真集も買うなんて
中学時代の財布の中身では
到底無理な話。
それが
中学2年の頃かな?
「ヘビーメタル専門誌」が発行されることになった
そんな話がどこかの雑誌の広告に載っていたのです。

「BURRN!」だったのです。
初めて買ったのは
中3の冬だったかな、
IRON MAIDENのスティーブ・ハリスが表紙の
1986年1月号。
若い


この雑誌、どこを切ってもヘビーメタル
まるで金太郎飴のごとく(若い方、金太郎飴をご存知?)
情報で溢れる今と違い
あの頃、『曲』でしか知り得なかったヘビーメタルバンドの事を
写真で見て、インタビューまで読める
正に最高の雑誌なのです。
ただ編集者の方の持論や思考にかなりの偏りがあったな~ってのは
当時から薄々感じていましたが(笑)
僕自身の
少々回りくどい考え方や
物事を理論立てて考える手法
(と言えば聞こえはいいが要は理屈っぽいだけ)
これらは「BURRN!」を読み込み過ぎた影響である、と断言できるでしょう(笑)
おそらく自分の書く『文章のスタイル』も
「BURRN!」から学んだ部分が多いと思います。
↑長い所もね(笑)
「BURRN!」のレコードレビュー(得点)とかも極端で
歯に衣着せず、好きな事書いてたイメージもあり
賛否両論もあったし、内外に(音楽ファンにもアーティストにも)
敵も多かったはず。
でもヘビーメタル自体が何かと誤解を生むジャンルだった訳だし
それは「毒を以て毒を制す」的な考えだったのかな?と思う訳で
『好きな事書くから、あとは読み手に全ての判断を委ねる的』な
やり方は個人的にはウェルカムでしたが(笑)
↑やっぱり僕の文章は回りくどい(笑)
ただ、DEEP PUEPLE > LED ZEPPELINだったのは火を見るよりも明らか(笑)
ZEPの事をよく書いた記事はほとんど見かけた事がなかった。
おかげで僕は18歳までLED ZEPPELIN聴きませんでしたもん。
聴いて、「あれ、カッコええやん」って思いました。
これが「BURRN!」からの脱却、と言うか自分自身で音楽性を見極める自信となったのかも。
何せ雑誌名が「BURRN!」ですから(笑)
(DEEP PURPLEの名曲「BURN」にRが加わってるのが由来)
(お借りしました、ありがとうございます)
この曲、メタルファンならずとも
一度は耳にした事のある方、多いのでは。
今でも本棚から取り出して
じっくり読む事がありますが
「BURRN!」は僕にとっては教科書であり、辞書であり
聖書のような存在なのです。
1989年11月号までは毎号購入して
今でも本棚の一番取り出しやすい場所に保管しています。
それ以降は立ち読みする事が多かったですが(笑)
1990年以降は
日本のバンドを主力で聴くようになったため
「ロッキンf」に移行した、ってのもあります。
今でも読み返すと
「あ~これ、買いたかったアルバムだ」ってのが出てきて
ついついポチっとクリックして購入してしまうんですよね(笑)
創刊当時からいらっしゃる編集スタッフさんは
大野奈鷹美さんくらいかな?
広瀬編集長ですら途中加入ですから。
陰陽座を知るきっかけとなったのも
実は久しぶりに買ったBURRN!でしたし。
ここまで(いい意味で)我の強い雑誌はそうないと思います。
ただ、僕自身の思考や人格形成にも
少なからず影響を与えている雑誌である事は否定しませんし
得るものも多い雑誌なのです。
今も時々立ち読みしてますよぉ~

今回は「重金属の世界」番外編でした
