太鼓や鉦(かね)を打ち鳴らし、踊りながら念仏を唱える――。
正応二年(1289年)8月23日は「踊り念仏」でおなじみ一遍上人の命日です。鎌倉仏教は、当時の社会の変化を背景に庶民にも広く浸透し、多くの宗派が生まれました。時宗は総本山は清浄光寺。正式名「藤澤山 無量光院 清浄光寺」これでピンと来る人も居るかも知れませんが、箱根駅伝で有名な湘南藤沢の「遊行寺の坂」の遊行寺の事です。平安時代までの仏教は密教、その名の通り仏の教えは秘伝であり高貴な人々だけのものでした。しかし鎌倉期に地方に散った若き僧侶が庶民救済の布教を始めます。末法思想が蔓延る世相に乗り爆発的に浸透しました。僧侶はアイドルの様な人気で、その小便まで欲しがるほどでした。踊念仏は娯楽の無い庶民には、鐘や太鼓を鳴らし踊りながら念仏を唱える様は衝撃的だったでしょう。今に伝わる様々な祭りの基礎になったと言われます。 #べらぼう #大河ドラマ
【北条氏綱が武田信虎勢を撃破】1535年8月22日
北条氏綱が甲斐都留郡山中で武田信虎勢を撃破する。信虎の弟勝沼信友が戦死(日付は7/22とも)。#大河ドラマ「#風林火山」では第一話で登場するこの戦い、寡兵の武田軍が山中に様々な仕掛けを作り北条軍を撃退する。山本勘助はその戦振りを克明に見聞し感心する。しかし山中湖から水軍で挟み撃ちに遭い、準主役の武田信虎の弟がいきなり討死すると言う、予想外の展開だった。この勝沼信友は今の勝沼市付近の豪族の養子に出ていた。温厚で人望厚く一門衆として家中の緩衝役だった。独断専行型の信虎にとって無二の存在だった。信玄も弟信繁が同じような存在、武田家は兄弟の存在が代々大きかった事が言え、またその弟の死後、家中がギスギスするのも同じだった #べらぼう #大河ドラマ
宮沢賢治「雨ニモマケズ」ファンタジー作家の先駆けの賢治が1931年(昭和6年)に手帳に書き残した詩で、生前は発表されず、没後に発見されました。簡単に内容をまとめると、
雨にも風にも、雪や夏の暑さにも負けず
強い体と淡白な生活を持ち
欲を持たず、怒らず、いつも静かに笑っている
人の幸せを願い、自分を勘定に入れない生き方
を理想とする生き方が描かれています。宮沢賢治が農民や弱き人々のために尽くそうとした姿勢が反映されており、日本人の「理想の人物像」として長く読み継がれています。
病気で絶望していた晩年の賢治、農政に生涯を捧げた彼も「寒い夏にはおろおろ歩き」自然には逆らえない農家の心情を簡潔に述べています。今「米なんか海外から買えばイイ」「高い米に文句あるなら食うな」など保守を自認する新自由主義者の「勝組負け組」思想が溢れ分断を煽ります。セクシー大臣のパフォーマンスなど賢治の「おろおろ歩く」の気持ちは分からない #べらぼう #大河ドラマ