394年前、徳川秀忠が亡くなりました。江戸幕府2代将軍。軍略は確かにパッとしませんが、在京がちの家康に代わり関東統治を任されているなど将軍後継としての経験をしっかり積んでいます。公家諸法度や武家諸法度の制定など武断政治で政権を確立させた親政手腕は評価されるべき。乱世を終わらせた真の立役者と言えるかと。戦国最終勝利者家康は色々な反面教師を見て来た。秀忠の兄秀康は秀吉、結城家と養子に出ていたので徳川相続者から外れた。それは武田信玄が四男諏訪勝頼を甲斐に呼び寄せて実質相続させた事から甲斐譜代と諏訪衆との不協和音で滅亡した事からだった。また黒田官兵衛が隠居し2頭体制を敷いた事、そして長政には一切の判断をさせずに家中融和をさせていた事などを参考に、武辺者を自分の側近にし若い官僚的武将を秀忠に付けた。それを理解し、家康存命時は一切の判断をせず融和に努めた
