【今川義元が北条氏康と和睦】1545年10月22日
武田晴信の仲介で今川義元が北条氏康と和睦する。今川家と北条家はもともと良好な関係でしたが、今川義元が北条家と敵対していた武田信玄と「甲駿同盟」を結んだことで関係が悪化しました。これにより、1537年についに北条家が今川領に侵攻し、「河東の乱」へと発展しました。今川軍には武田家の援軍がありましたが、戦いは長期化しました。河東の乱の長期化を受け、武田晴信が今川義元と北条氏康の和睦を仲介しました。これによって武田、今川、北条の三者は、敵対関係から協調関係へと移行するきっかけを得ることになります。10月24日には関東管領、今川義元、北条氏康の三者間の誓約書が武田晴信のもとに届けられ、和議が成立しました。今川家の軍僧太源雪斎は荘子「利を以って合する者は、窮禍患害に迫られて相棄つ」「天を以て属する者は、窮禍患害に迫られて相収むるなり」と北条武田に説き利を収め天道に従う様に迫った #大河ドラマ