【信玄、信濃善光寺本尊を甲府に】1558年9月25日
武田信玄が甲斐善光寺建立のため、信濃善光寺本尊の阿弥陀如来三尊像を甲府に移す。武田信玄は、上杉謙信との間で繰り広げられた川中島の戦いが長引き、信濃善光寺が戦火の被害を受けることを深く懸念していました。信玄の父、信虎の時代から信濃善光寺との関係が深かったこともあり、信玄は戦火から本尊や寺宝、さらには僧侶たちを守ることを決断しました。永禄元年(1558年)、信玄は信濃善光寺の本尊である阿弥陀如来三尊像をはじめとする寺宝を、安全な場所である甲斐の板垣郷(現在の甲府市善光寺)へ移しました。この地は、もともと善光寺を建立した本田善光が葬送された縁深い場所とされています。当初は仮堂に安置されましたが、8年後の永禄8年(1565年)には本堂が完成し、本尊が正式に安置されました。この時、信濃善光寺の大本願第三十七世であった鏡空上人以下、一山の僧侶たちも甲斐へ迎えられました。これは表向きの理由だが信玄は庶民人気の高い善光寺を手に入れる事で自身の威光を高める狙いだった #べらぼう #大河ドラマ