【北条早雲死去】1519年8月15日
北条早雲が伊豆韮山城で没す。享年88歳(日付は8/16とも)。出自不明の流れ者が下剋上で伊豆相模を奪取し、戦国時代が始まった。これがかつての早雲像でした。近年再研究が盛んで、出自は室町幕府の官僚の伊勢氏、応仁の乱で荒れた京を離れ妹の嫁ぎ先の今川家の食客となる。家督争いに介入し幼い甥の擁立に成功、興国寺城主となる。今までの秩序を踏みにじり大名になると言った戦国のイメージ、しかし早雲は民政家でありその噂で他国から農民が流入してきた程だった。堀越(韮崎)公方家の内紛で伊豆が動乱した際、平定戦に行った早雲は疫病流行に民衆に薬を配り兵士に看病に当たらせ、足利茶々丸討伐を延期した。「早雲様は鬼のような姿の仏様だった」と言われた。年貢を軽減し流入民に耕作地や仕事を与え、私腹を肥やす役人に厳罰を与えた。北条家5代100年続く基礎は撫民思想、滅亡後の治めた家康は北条家の治世に深く感銘し、その政策を継続した #べらぼう #大河ドラマ