【加藤清正、熊本城を築く】1601年8月7日
加藤清正が心血を注いで熊本城を築く(着工)。日本の名城と言われれば必ず入る代表的な城は清正の生涯の集大成。実践的で壮大な平城、石垣は穴太衆と言う技術集団を使い、縄張り、通路などどれを取っても難攻不落となっていた。家康からは島津氏監視を厳命されており、城内に西国街道を通すと言った奇天烈な構造。それはここを通って往来する薩摩人を威圧し「これは敵わない」と思わせる為だったと言われる。また御殿には主君が着座する上座の上に更に「招君の間」と言うモノがあり、上方に変事があれば秀頼を熊本にお迎えすると言う意志だった。家康に臣従していたが最後まで豊臣への恩は忘れなかった #べらぼう #大河ドラマ