【朝倉景健が姉川畔に布陣】1570年6月26日
浅井長政救援のため朝倉景健が到着、長政とともに姉川北岸に布陣する。織田10000、徳川5000。浅井5000、朝倉8000の互角の勢力。北近江は京への入り口の要衝、双方命運を懸けて激突、とおもいきや朝倉はなんと当主義景の出馬は無し、義建を名代で出した。戦国名将と言われる人は必ず当主が戦陣に立ち士気を上げた。この辺に義景の問題が浮き彫りになる。朝倉家は戦国でも唯一、守護代から守護に格上げされた。しかし3代目は貴族趣味で上から目線の富豪大名と成り下がり、戦を厭うようになる。ここで信長との差が出てしまった。しかし戦闘は拮抗、信長勢13段構えの9段が突破されあわや総崩れ寸前に追い込まれた。それ程浅井朝倉は精鋭だった。 #べらぼう #大河ドラマ