【加藤清正死去】1611年6月24日
加藤清正が居城の熊本城で病没、毒殺の噂が流れる。享年50歳。賤ヶ岳7本槍の一人で典型的な戦国武将。尾張の職人の息子だったが父の戦死から伝手を頼り秀吉の小者に、子供の居ない秀吉に子供同然に育てられる。武功は言うに及ばず清正は治世の達人でもあった。九州征伐の頃5000石の足軽大将だった、肥後の乱で佐々成政が切腹、その後の配置をしようとしていた秀吉に清正が志願した。そして19万石の大守に大出世するのだが、失敗すれば終了の厳しい状況。まずは熊本城の大改修に掛かる。そして領民に賦役を課す代わりに税を減免したり、普請場に毎日出向き労役を労ったりした。大城郭は一揆を起こそうとする気を無くさせ、労役で一体感を持たせ、中央から来た若造大名と言うイメージ払しょくに成功した。この治世には秀吉も感嘆、清正の能力の高さを激賞した #べらぼう #大河ドラマ