文政十二年(1829年)5月13日は、寛政の改革で知られる松平定信の命日。
もともとは御三卿・田安家に生まれ、幼い頃から利発な人物として知られました。将軍候補にも挙げられたほどですが、紆余曲折を経て白河藩の藩主になる。父は8代吉宗の次男宗武、時は10代家治の田沼意次時代。今放送の大河ドラマ「べらぼう」と同じ頃。しかし家治に男子誕生で将軍の話は無くなる。しかも格下の白河松平家に行くと言う事は屈辱だった。しかし定信の聡明さは有名で10才で古今和歌集を諳んじ、古今の事情に通じ時の権力者田沼意次を公然と批判する度胸も有り、逆にそれを疎んじられたとも言われます。性格は極めて剛直、いわゆる融通が利かない、しかも短気で家臣を恐れさせる人だった。藩政に抜かりは無く今話題の大量の備蓄米を用意、天明の大飢饉では餓死者を出さなかった。この頃から民撫の精神を身に着け温和になった。手腕を買われ老中就任。政敵田沼意次を失脚させる。財政再建を断行、それは吉宗回帰とも言え「庶民には麦や稗を与えよ」など超緊縮財政で庶民の財布を締め上げた。しかしもはや時代錯誤、しかも白河と江戸はまったく事情が異なり、既に金貨では無く藩札などの紙幣も流通し始め信用創造で経済は成り立っていた。定信の物々交換に近い政策は大失敗した。なんだか今の日本を見るようです #べらぼう #大河ドラマ