延元3年/建武5年(1338年)5月22日は北畠顕家の命日です。
類まれなる軍事統率力と、貴族の出自から文化的才能にも恵まれた南北朝の貴公子。
花将軍とも呼ばれ、文字通り日本中を東奔西走しながら21の若さで散ってしまいます。
奇しくも鎌倉幕府滅亡と同日に散った顕家はいったいどんな人物だったのか。
最近は漫画『#逃げ上手の若君』でも注目されている。
父の大納言北畠親房は後醍醐天皇を最後まで支え「阿宰」と呼ばれ、北朝との窓口となる。陸奥守となった父と共に陸奥へ、足利直義を鎌倉で破り、そのまま京奪還に向かう。後醍醐天皇の守護神として各地を転戦した。弓の名手と一騎打ちでは無敗を誇った。顕家の討死は南朝に大打撃となり力は衰退していく #べらぼう #大河ドラマ