【丹羽長秀死去】1585年4月16日
丹羽長秀が病没。享年51歳。ノイローゼにかかって切腹したともいう。マイナー武将で何をしたかは知られていないが、信長の信任が厚かった。「木綿木下(秀吉)、米五郎左(丹羽)、掛かれ柴田、引き玄蕃(佐久間信盛)」と言われこの4人が尾張時代からの評判です。米五郎左は2つ意味が有り、米の様に何のおかずにも合うと、兵糧や城普請などの裏方仕事が上手い。当時の戦は農民兵が徴発される時、兵糧は自分で背負って持ってくるものだった。ゆえに長期戦は無理で大名同士が面目を保つために形式上行う物が大多数だった。戦国初期は内部抗争や調略や騙し討ちなどで、正規軍同士で激突した例は稀だった。兵糧を重視した信長は先見の明があった #べらぼう #大河ドラマ