【遠藤宗信死去】1593年4月13日
伊達家の宿老遠藤宗信が京都室町で病没。享年22歳。また、この日伊達政宗らが渡海、釜山に到着する。父基信は主君伊達輝宗に殉死し面目を果たしたが、政宗の殉死禁令後だったため、遠藤家は処罰された。この事が思わぬ形で政宗を後年追い込む。秀吉の奥州仕置きで所領を失った木村義清らが葛西(宮城県)で一揆を起こす。その討伐に伊達政宗と蒲生氏郷が派遣される。政宗は裏で一揆軍を扇動しており以前から因縁のある氏郷を孤立無援にさせた。しかしその際一揆軍に宛てた密書が遠藤家に縁の深い須田伯耆が裏切り氏郷の陣所に持ち込んだ。その密書が秀吉の手に渡り、有名な鶺鴒の目の針の穴の申し開きに繋がる。政宗は用心深く公式文書には針の穴を開けており、開いて言いなかった見庶は偽物と認定、難を逃れる #べらぼう #大河ドラマ