【黒田孝高死去】1604年3月20日
黒田官兵衛孝高が山城伏見で没す(没地は筑前博多とも)。享年59。播磨の小豪族から秀吉に見いだされ天下一の頭脳と称された。しかしその才気は秀吉に恐れられ「もしもわしが死んだら天下は官兵衛が取る」と言われ、上善如水から取った如水と号し、野心の無い事と隠居を申し出た。後半生は非常に難しい立場を巧みに切り抜け福岡藩52万石の基礎を築いた。戦国最高の頭脳は秀吉と同じ事を考えていたと感じさせ、本能寺の変で横死した信長の報を聞き「殿のご運が開けました」秀吉は心を見透かされドキッとした事でしょう。天下統一には欠かせなかった事は明白ではある。家康も最後まで官兵衛を恐れ西国大名がもしも反逆するならその中心は官兵衛だと想定していた。この死に際し大いに喜んだとも言う #べらぼう #大河ドラマ