桶狭間の戦い後、崩壊してしまいそうな今川家を立て直した寿桂尼(じゅけいに)。
永禄11年(1568年)3月14日は、その命日です。
武田信玄も警戒していたとされ、実際、駿河侵攻が始まったのは彼女の死後のこと。
それまで孫の氏真を支えるなど、女大名として辣腕をふるいながら、なぜか #どうする家康 では顔見せすらない。今川義元の母であり父は権大納言・中御門宣胤。今川氏親の正室。病弱な夫に代り今川氏の分国法である『今川仮名目録』は寿桂尼とその側近が中心となって作成した。公家の出自でもあり当時の女性の地位の高さが分かる。氏親死後の今川家は大揺れ、氏輝、彦五郎が相次いで死去、出家して栴岳承芳と名乗っていた義元を還俗させ、側室の子である玄広恵探との間で家督争い(花倉の乱)が起こる。太源雪斎を登用し乗り切ったと言う苦難の女性 #べらぼう #大河ドラマ