【武田勝頼自刃】1582年3月11日
織田・徳川軍の侵攻に苦慮した武田勝頼が小山田信茂に裏切られ天目山麓の田野で自刃。享年37。また兄の龍芳こと海野二郎信親も入明寺で自刃(享年42歳)、武田家滅亡。この日織田信長が美濃岩村城に入る。勝頼は焦土作戦に出る、甲府は盆地にて攻めやすく守り辛い。韮崎に築城した新府城は破却、甲府を棄てて郡内(大月)へ、それが全ての失敗だった。勝頼は元々信濃人、しかし武田旧臣の甲斐からの逃亡を咎められ残った、歴史に「もしも」は無いが当初計画通り信濃に逃れれば再起の可能性もあったかもしれない。甲府を占拠した織田軍を地の利を生かしゲリラ戦で昼夜攻めれば勝機もあった?! #べらぼう #大河ドラマ