家康の臨終。「家康の誤算」磯田道史著。今だに静岡久能山か?日光か?と論争がある遺骸。徳川実記にも詳細が記載なし。これは双方の陵墓を発掘しない限り解決しません。その家康は晩年まで鷹狩を好み長寿こそが徳川の天下に最良と考えていた。それは信長秀吉が死後即座に政権が崩壊した事を見て来たからだろう。そしてその際は必ず側室を同行させ、現役をアピール。その鷹狩の先で発病する。なんとか駿府城まで帰るが本人は既に死を覚悟していた。鯛の天ぷらに当たったと言われるが、既に既往症が有った上でのきっかけに過ぎないとも言われる。死の床に次々と呼ばれたのが信頼する者たち。その中に徳川四天王の榊原康政「自分の死後、神官(神として祀れ)なり、その守護には4人の者を立てよ」と何とも家康らしい細かい指示。藤堂高虎「西国の戦の先鋒を」井伊直孝「戦の次鋒」もはや死ぬ気など無いとも思える詳細さ。そして近習を呼び「新しい刀の試し斬りをせよ」近習は罪人を斬り捨て、その血の滴る刀を家康に渡すと、やおら起き上がり刀を振り回したと言う。家康の生きた戦国の苛烈さを物語るエピソードだらけの臨終だった #べらぼう #大河ドラマ