【藤堂高虎、伊予半国の主に】1600年11月18日
徳川家康が藤堂高虎の軍功を賞し十二万石を加増、伊予半国二十万石を与える。下級武士から能力で7度主君を替え大大名に上り詰めた。身の丈は190cmと言われ若き頃は10人力の大活躍でしたが、実は実務能力が抜群のテクノクラートだった。荒廃した土地、悪政に乱れた政治、軍制や築城…どれを取っても主君の期待に応えた。家康は秀吉政権の色濃い畿内を離れ、江戸を政治の中心にする構想を持つ。家臣一同は豊臣家の怒り、その監視。朝廷との関係性、文化経済的中心から離れる事に反対だった。家康は高虎に江戸城の大改修と町割りなどを任せ、見事徳川の都に作り替えた。家康は秀忠に「天下に一大事起きた時は、まず高虎に相談せよ」また今わの際の枕元に唯一呼んだ外様大名となる #光る君へ #大河ドラマ