【清洲会議】1582年6月27日
信長没後の織田家相続会議で羽柴秀吉が柴田勝家を押さえて主導権を握り、自ら後見する三法師が織田家の世継ぎに決まる。どんな組織も後継者問題では苦労する。ほとんどが戦争で解決、それは今も変わらないでしょう。殺し合い以外の戦争も含むので。乱世の世襲はほとんど上手く行きません。男系男子一子相伝では競争原理が働きません。信長も当初は実力主義でしたが、天下が近づくに連れて世襲を濃くします。やはり崩壊でした #どうする家康 #大河ドラマ