【本能寺の変】1582年6月2日
明智光秀が京都本能寺に織田信長を、続いて二条城に信忠を襲い、信長は炎上する本能寺で、信忠は二条城にて相次ぎ自刃。信長享年49歳、信忠享年26歳。高野山攻めに赴いた織田勢は信長死去の報に退却、高野衆に反撃され痛手を受ける。またこの報に接した徳川家康一行は急ぎ国元へ向かうが、別行動した穴山信君は草内渡し付近で一揆に殺される。一方、越中では佐々成政が柴田勝家らの来援で上杉方中条景泰の拠る越中魚津城を落とす。本能寺の当日、実はこんなにたくさんの事件が起こっています。寸前で滅亡した武田、焼き討ちに遭った比叡山。助かった上杉と高野山、長曾我部、毛利…そして100万石大名の家康は何故か丸腰で堺滞在。慎重居士信長が居る畿内に全く軍勢が居ないなど以前には考えられない状況、滅亡後の武田仕置きの際も大軍団を率いていたし、その後の家康の接待でも徳川領に大軍勢を入れていた…どう考えても光秀一人で暴発したとは考えにくい #光る君へ #大河ドラマ