【秀頼、家康の上洛要請を拒否】1605年5月10日
徳川家康が豊臣秀頼に上洛を促すが、秀頼はこれを拒否する。教科書的には、関ヶ原合戦、江戸幕府開府などで家康の天下と思われがちだが、この頃はまだまだ戦国の気風であり、各地の大名は戦国を行きぬいた古強者だった。そしてなにより大阪には豊臣家が存在し西国大名は関ケ原後の外様しかおらず、事が起きれば天下はいつでもひっくり返る状態だった。この頃家康はまだ豊臣家と全面対決出来る力も無く、存続は既定路線だった。この上洛要請は2代秀忠の将軍宣下の祝いだったので、拒否されるのも織り込み済みだっただろう #坂の上の雲 #どうする家康