元亀元年(1570年)4月26日は浅井長政に裏切られた織田軍が【金ヶ崎の退き口】と呼ばれる撤退戦を始めた日です。
一足先に信長を逃がし、豊臣秀吉や一説には明智光秀等と殿(しんがり)を引き受け、朝倉軍に追われた戦いですね。
寡兵で朝倉の追撃を食い止める役となった秀吉軍。
それは越前から京都まで壮絶な撤退劇でした。
金ヶ崎は浅井朝倉からみれば地元で土地勘があったはず、しかし信長を討ち漏らす失態を侵してしまう、なぜか?!それはやはり秀吉の戦術眼が優れていた事に尽きます。柴田勝家辺りが殿でしたら、正面から敵と戦い大損害、もしくは全滅したでしょう。秀吉は平地が少ない山がちな地形を利用し、ゲリラ戦を展開した。変幻自在に繰り出す兵に敵は翻弄され、信長を見失い、まんまと今日まで脱出させてしまった #大河ドラマ #どうする家康