西郷隆盛はなぜ強引に幕府を武力で潰したか?実は岩倉具視や薩摩藩からも内戦は「下策」とされていました。実際、戊辰戦争による害悪は酷く、人材の喪失や疫病の蔓延、民衆の餓死者などが多数でています。西郷も当初は西洋列強の干渉を受けない為にも平和的な政権奪取を考えます。しかし狡猾な徳川慶喜と根深い徳川へのお上意識から徳川家滅亡と慶喜切腹の見せしめしかないと考え始めます。そこで起こった大政奉還、改めて慶喜の強かさに震撼。このままでは革命は骨抜きにされると、そこで奇策の王政復古、平安時代まで制度を戻すとしたものだった。明らかに慶喜挑発の政令で武士そのモノを否定した。いきり立つ大坂城、その雰囲気に乗った慶喜が最悪の判断をしてしまった。 #光る君へ #どうする家康 #大河ドラマ