【家康、秀吉に臣従】1586年10月17日
羽柴秀吉からの再三の要請に徳川家康がついに上洛を決意し、秀吉に臣従する。戦国ドラマでは必ず登場するエピソード、小牧長久手の戦いで完敗した秀吉は武力では勝てないと判断し母親までも人質に出して家康を懐柔した…しかし本当にそだったのか、秀吉は明らかに家康討伐を計画していた。実際に軍令を発し総勢12万、兵糧弾薬を前線基地の大垣城に入れていた。これに対し家康も三河を要塞化して迎撃態勢と整えていた。その時推定M8.5と言う天正大地震が畿内を襲った。大垣城は倒壊、飛騨では城も町も無くなり甚大な被害を出す。民衆救済の為に討伐中止となった。家康はどこまでも運がある #どうする家康