【信長・家康連合軍が長篠へ】1575年5月18日
三河長篠城救援のため、織田信長・徳川家康連合軍三万が極楽寺山・高松山に着陣する。ここで本軍が到着、信長は奇襲が得意とは桶狭間の戦いでのイメージですが、それ以降は決して無理な戦いはしていません。武田軍多くて2万、酒井忠次の夜襲で平地に誘き出された武田軍、馬場信春、山縣正景ら信玄以来の旧臣は即座に撤退を進言したが、諏訪衆の勝頼側近は徹底抗戦を主張。 #どうする家康
【信長・家康連合軍が長篠へ】1575年5月18日
三河長篠城救援のため、織田信長・徳川家康連合軍三万が極楽寺山・高松山に着陣する。ここで本軍が到着、信長は奇襲が得意とは桶狭間の戦いでのイメージですが、それ以降は決して無理な戦いはしていません。武田軍多くて2万、酒井忠次の夜襲で平地に誘き出された武田軍、馬場信春、山縣正景ら信玄以来の旧臣は即座に撤退を進言したが、諏訪衆の勝頼側近は徹底抗戦を主張。 #どうする家康