【千利休切腹】1591年2月28日
千利休が秀吉の命により京・葭屋町の邸で切腹する。信長秀吉と続いた茶の湯政治、茶室の狭い空間でひざ詰めで政策を決定すると言う、いわゆるトップ外交はここで終了。以後は五奉行による官僚政治へと移行する。秀吉本人との面会すら出来づらい状況に、側近への不満は高まり、石田三成憎しへの導火線に火が付く