高市首相は2月20日に衆参両院で就任後初の施政方針演説を行いました。この演説では、従来の政策を根本的に転換し、「責任ある積極財政」の推進を表明しています。
国内投資の不足が潜在成長率の低迷原因。
「危機管理投資」と「成長投資」を実施。
雇用と所得増で消費マインド改善、税収増で「強い経済」の好循環形成。
物価上昇に負けない賃金上昇を目指す。
「過度な緊縮志向」と「未来への投資不足」の流れを断ち切ることを宣言。
食料品に限った2年間の消費税減税を提案。
夏前までの中間取りまとめを目指す。
特例公債に頼らない財源確保を強調。
所得税減税と給付を組み合わせる給付付き税額控除導入までの一時的な負担軽減策。
「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」を戦略的に進化させる。
重要物資のサプライチェーン強化。
官民一体での経済成長機会創出。
安全保障面での連携拡大。
教育や少子化対策にも言及。
外国人による土地取得規制の見直し検討。
北朝鮮による拉致問題解決への強い決意。
副首都構想に関する検討の加速。
総理側近「色々詰め込んだ、てんこ盛り弁当」と側近が言う孤立無援振り。自民党は麻生派60人をはじめ裏金や統一教会がウヨウヨ復活、干し上げたはずの石破側近も全員当選…選挙前には富裕層の年収1億の壁の撤廃、大企業向き雇用促進補助金の廃止、宗教法人課税(これはまだ)など次々と結党以来ズブズブだった大企業金持ち宗教潰しに掛かっていては党内に仲間など居ない。しかし世論調査では更に6%の支持率アップ!もう止まらないでしょう。麻生氏の副総裁解任し衆院議長へ転身は不発だったが派閥会合「明るく前向きに」と危機感丸出し。「信以て義を行い、義以て命を成す」の孔子の言葉を冒頭に引用した?嫌中だったのでは?ビジネス嫌中だったのが判明しそれは安堵だ。政界破壊者の松下政経塾のHPに有った言葉だと判明した。失われた30年の最終戦争が始まる

113年前の今日、山本権兵衛が16代内閣総理大臣に就任しました。日露戦争時の海軍大臣で、様々な海軍文化を定着させ、軍人ながら外交が巧みで日英同盟や日米関係を友好に進め日露戦において世界を日本贔屓にもっていく政略眼も持ち合わせた人。
第3次桂太郎内閣が山縣有朋との対立で独自の政治勢力を組織しようとするも失敗すると、西園寺公望の推薦で山本権兵衛が首相に就任。軍部の政治介入の原因となっていた軍部大臣現役武官制の改正に尽力します。制度の事実上廃止により軍部による内閣人事の影響力を抑え、軍の横暴の抑止に成功します。これは後に予備役武官の226事件への関与疑惑が元となり廣田内閣の時に復活してしまうことになります。
組閣からおよそ1年後、海軍高官の収賄疑惑事件であるシーメンス事件が発生。山本自身は無実であるものの海軍全体および山本の政治のバックである政友会にも世論攻撃がおよび、海軍予算削減予算案の不成立によって事実上の内閣不信任状態となり内閣は総辞職。山本と海軍大臣斎藤実は予備役に編入され、その後の陸軍の台頭に影響を及ぼすこととなります。
西郷隆盛、大久保利通と同じ町内出身。世代が違うので関わったのは子供時代だった。薩摩は軍部に力を持ち西郷隆盛陸軍大将、東郷平八郎海軍連合艦隊司令官などが有名。

317年前の今日、徳川綱吉が亡くなりました。江戸幕府5代将軍な犬公方。生類憐みの令で悪評ですが近年再評価へ。儒学を好む綱吉は徳を天和の治として重視する善政を敷き文治政治を推進。
湯島聖堂建立など儒学を大々的に奨励し、新井白石・室鳩巣・荻生徂徠・山鹿素行など著名な学者が排出されたのも綱吉の政策の影響です。
生類憐みの令も最初から悪法であったわけではなく、綱吉自身が仁政を目指したことに始まります。しかし徐々に度を越した法令が追加されていくことになり、取締りのための予算などで幕府財政の悪化も招くことに。
とはいえ、命が軽んじられる戦国の風潮残る社会から文治政治への転換を敢行し、無駄な殺生や子を捨てることなどを良しとしない平和な倫理観を世間に定着させた功績は大きい。
4代家綱の時に起きた島原の乱は一揆勢3万人が玉砕と言う凄惨な結果になった。まだ辻斬りや飢饉の子供の間引きなど横行していた戦国の空気が残っていた。犬の命を守る事は当然人間の命を守るに繋がり、武断政治に決別し太平の世に向かった。元々綱吉は兄家綱将軍相続で後継候補から外れ、舘林藩主として学問と治世に邁進していた。兄の急死で突然回って来た将軍職には違和感が有ったと伝わります。