喪失の解決のステップ

 

こんにちは!

 

さて、喪失の乗り越え方ですね。喪失を乗り越える、実は時間だけが解決策ではありません。

 

喪失には色々な要素が絡んでいて身近な誰かをなくした場合ですがその人と一番親しかったから難しいとか愛が深かったから難しいとかそんな風には一口には言えません。

 

極端な例で言えば例えばホラー映画のように奥さんやお母さんを亡くして別れがどうしても辛いがために亡骸を保存してしまうような場合は愛が深いとか別れが辛いとかそう言った意味を超えてご本人の心の問題だとすぐに気がつきます。

 

亡くしたものや人がその人にとってどういった意味を持っていたかも重要です。例えば生きていく理由だったと思っていた場合、亡くすと生きていくのは本当に辛くなるでしょう。

 

その場合はその方の生前からその方が生きていく理由だったという心の設定に問題があることが分かりますね。

 

このように喪失の問題は心の色々な問題に関係がありそのせいで喪失の問題以前にご自身で持っていた心の問題を浮き彫りにし解決しなければいけないと思い当たるような状況を作り出したりします。

 

断捨離などもそうですがこの喪失の問題を持ちにくくするように普段から物事や人との関係を簡単に手放していく考え方が良いとされている結果だと思います。

 

愛着、という概念です。愛着はとても難しい感情でそのために宗教でも禁じられている場合が多いですね。

 

なので仏教でもキリスト教でも出家をしているような身では所有物を極端に少なくしています。

 

もちろん所有が愛着を呼びそして愛着が厄介な感覚だと知っている結果、宗教で禁じられていると言わねばなりません。

 

さてそんな風にややこしい愛着や喪失の問題の解決のステップです。

 

まず解決への第一歩はその喪失を認めて受け入れることから始まります。

 

そんな事身近な人が亡くなったならわかるはずだし認識するはずだと思いますよね。それが意外と難しい問題なのです。

 

まず身近であればあるほどその人の不在が最終的な答えや結果であると思いにくくなります。あの人は今家にいないだけで夕方になれば帰ってくるという感覚を持ちます。

 

例えば旅行に行ってひょっこり帰ってくるのではないかと思うとか誰もが言いますよね。

 

これはこの第一ステップである喪失の受け入れには至っていない段階です。でも心はその方がずっと自分にとって都合が良いのでその結論に至りたがります。

 

そして待てど暮らせど帰ってこない大事な人を待ち続けてある日、本当に帰ってこない事を悟って膝から崩れ落ちて泣き崩れる。映画などのシーンでよく見ますね。

 

実はこの辺の時点から本当の喪失の乗り越えのステップが始まります。

 

それでは第二ステップからは続きで。

 

英語版はこちら

 

素晴らしい一日を!