しばらく更新しない間に2024年になっていました。

今日はもう1月9日です。

能登半島では1月1日午後4時頃に大地震が発生しました。

その後も強い余震が何度も起こっています。

今まで私の安否を心配してくれる連絡を頂いていましたが返信が遅れて申し訳ありません。

 

私はというと地震が起きた時間は穴水町で仕事中でした。

去年7月に一度退社した警備会社から人手不足だからと戻ってほしいと依頼がありました。

それで去年12月から穴水町にある障がい者福祉施設の警備員をしておりました。

1月1日も朝から勤務中でした。

大地震が起こる数分前に私の体感で震度5ほどの地震がありました。

それでその対応をしている最中に大地震が来ました。

数分間の揺れの中で火災警報と避難を呼びかける自動音声が繰り返し流れましたが、揺れが収まるまで動けませんでした。揺れが収まってすぐに火元を示す場所の現場確認(半数近くランプがついていました)と利用者さんで負傷している方の有無を見て回りました。幸いに火災は発生していませんでした。またケガをされた方もおりませんでした。ただし火災警報が発報しているので、スプリンクラーが作動して水が天井から降ってきます。急いでスプリンクラーを止める作業をしてから消防署に誤作動であることを電話で伝えようとしましたが話し中でした。何度かかけ直して消防署に報告してから改めて施設内外の損傷場所の確認を行いました。記録用にスマホで写真を撮りましたが16時35分頃でした。エレベーターに閉じ込められた方がいないか確認しましたがこれも無事でした。

冬のこの時期はすぐに暗くなります。

1月1日の新年ということで、職員の人数も数名です。

停電、断水に加えて携帯電話やインターネットがつながりにくいうえに道路も寸断されて孤立状態だと分かりました。

緊急地震速報が流れる余震が断続的に続いていたので職員の人たちと一緒に利用者さんの安全確保を続けていました。

緊急地震速報は夜7時頃までに20回近くあの気持ちが悪いメロディとともに流れてきましたが、いつのまにか震度5以上の大きな余震の時しか流れなくなりました。応援の人が来るまではここにいる人たちだけで対応するしかないので、最初の1日目は必死でした。電気の方は1月2日午後7時頃に復旧して、1月3日から応援の職員さんたちが来てくれたので少し余裕が持てました。

私は1月4日午前中に自宅の様子を見るために施設を出ました。

私の住んでいる甲(かぶと)地区も大きな被害が出ていました。

幸いにも私の家は高台にあるので無事で、津波の被害もありませんでした。

甲消防分団は避難所になっている旧兜小学校にトイレなどで使う生活用水を近くの川から水をくみ上げて運んでいました。

私の方は施設の警備員を続ける必要があるので、そのことを伝えましたが、携帯電話やインターネットがつながるようになったのは1月8日になってからです。私以外の警備員は地震の被災で避難所での生活を余儀なくされているので、私の方は現在も施設の警備員を続けています。今まで地震の対応に追われていて、また携帯スマホインターネットがつながらなかったので、安否報告をするのが遅れてすみませんでした。

今後は近況報告などのまじえて更新していきたいと思います。