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友だちがインスタで100人のコンサルを達成していて、
少しジェラシーです。
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生物は本来「競い合って」自分の遺伝子を残すので、
人間も、他者をライバルと認識してしまう習性があります。
そこを「理性」という脳ミソ、
新しい皮で包みこんで、大脳新皮質。

理性の「言葉」遣いで、わざわざ「争わない」。
「あの人は、○○ができる」
というコトバを、
「あの人は、○○をしてる」
と替えるだけ。
「あの人は、100人のコンサルができる」
を
「あの人は、100人のコンサルをしてる」
こうすることで、脳が受け取る結果を変更できます。
「できる」を使うと、その二元性の対比によって、
「私には、できない」が脳内に想起される。
でも「してる」だったら、
私と彼女、どっちの方が「凄いのか」を脳は定義できない。
サッカーをしてる人
野球をしてる人
ホッケーをしてる人
「してる人」は、ただそれが好きだから「してる」だけで、
サッカーより野球の方が「凄い」訳じゃない。
ぜんぶが「同じランキング」で、
何を選ぶかは人の勝手。
でも、
サッカーが出来る人
という表現だと?
「あの人は、野球が出来る」だと?
どこかに、私は出来ないが生まれる。
100人をインスタでコンサルしている。
シュミでしょう。
あの人は悟って、いつも覚醒体験をしている。
シュミでしょう。
悟ってる人が「凄い」訳じゃない。
「悟り」を、あの人は「している」だけで、
今日あなたが、散歩を「している」のと、同じ価値。
好きだから、それぞれ、好きなことを、「している」だけ。
○○が「できる人」じゃない。
○○を「している人」。

ほんと「小さな言葉遣いの違い」だけど、
無駄な争いが脳内に起きなくなるから、やってみてね。
特に、社会的に「凄い」とされてる事に対して。
あの人は英語が「できる」じゃなくて、
あの人は英語を話すことを、好きで「してる」だけ。
ただのシュミ。
バイバイ。
↓今日は下の2つのボタンを押す祭、
「悟り体験ができる人、悟りをしてる人。」と言いながら↓ポチ↓ポチ



