長男コクトウ君(高2)が夜中10時に帰って来て、


「いやー、瀬永島に友達と遊びに行って、

バスが分からないから、1時間くらい歩いてモノレールの駅まで行って、

そこからモノレール乗って、いま帰って来た~」



に対して母親ハニートーストさんが



「はぁ?あの距離を歩いたの?バカじゃないの」


という会話を、

風呂場で聴いていた、家主のM氏。


2人の会話の文脈上、

「あんたたち、凄いね」「ふつう、歩かないよ」

みたいな感じで2人は話してたけど。




いやいや、ハニーさん、と。

あんた、同い年でしょ。

僕らが高校生の時代には、

まずスマホが無い


だから、「Googleナビなし」で、

同じようなことをやってた。

でもって、そもそもモノレールも無い時代だったでしょ。


スマホがある時点で、ナビでどこでも行けるじゃん。




1つ便利になるということは、

1つ特殊能力を失うということ







それにしても、

スマホ無しで、あの時代の人たちって、よく迷子にならずに生きてたよなー。

ってなもんで、風呂場で同じ「高2の夏」を回想するM氏。


えーっと、高2の夏。

距離にして、コクトウ君の10倍くらい離れている、

恩納村に皆で行って、

そこに「ペンション」が沢山あって、

女の子ばかりだったペンションを見つけ出し、

一升瓶を持って「こんばんわー」


で、夜通し飲んで、

翌朝、急性アルコール中毒にM氏がなって、

幹線道路沿いで倒れて、

「さ、寒い!」って真夏に白くなってたら、

友だち2人が身体をこすりつけて、

高校生が3人、道端で寝転がってスリスリしてる地獄絵図を、

通りかかった車から降りて来て、

「僕たち、那覇から来たんですー」

「じゃあ、乗って行きな」

で帰って来たよなーっと回顧。





1つ便利になるということは、

1つ特殊能力を失うということ



 

 

 


僕たちは、便利になり過ぎた。

コンビニエンスストア(便利商店)。

1つの商品につき、1つの能力が死んでるんだろうなー。


俺の、おじいちゃんの世代は、

流れ弾が飛んでる中、歩いていたはず。


今日から始まる一週間、

 

「便利さ」の代償で「失くした能力」に想いを馳せて、

「不便な方」を選んでみませんか。




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▼この記事を書いた人 Writer's Info

さとうみつろう

日本の作家・ミュージシャン。高校生の長男コクトウ君と、中学生の長女ザラメちゃん、5才になった次女ミリンちゃんの3児のパパ。石垣島で生まれ中学は大分県、大学は北海道。社会を変えるためには「1人1人の意識の変革」が必要だと痛感し、大手エネルギー企業から独立。本の執筆や楽曲の発表を本格化し、初の著書がシリーズ累計30万部のメガヒットを記録。10代の若者を中心に多くの支持を集める。ところ…

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