スノボ2日目。
華麗で、出来ない技が増えて来てる。
あ・・・、加齢で。
「あれ?去年までは、このくらい飛べたのに。」
もうすぐ43になる。
これからは、
「出来ていたのに、出来なくなること」
が増えて行く。
小さいころ、幼少期、青年期は、
「出来なかったことが、出来るようになる」
ことがほとんど。
この喜びは大きい。
マーマーが褒める。
「おはしが、持てるようになったのね!」
「自転車に、乗れるようになったね!」
「おむつを、しないで眠れるようになったね!」
人は、
「出来る」ということを、あまりにも褒められすぎた。
そのせいで、
「できる」と「できない」
を天秤にかけると、
圧倒的に左に傾く価値観が形成される。
「得る」ことと「失う」ことも同じ。
得るたびに、褒められた。
「100点取ったね!凄いね!」
「給料上がったね、偉いね!」
失うことを褒められた記憶なんて誰もないはず。
「算数のテスト、70点?
じゃあ、ケン坊は30点も失ったのね!あんた偉いね!
先生に30点も返すなんて!」
「今年は不景気で減給か。
あなた!5万円も失うなんて、凄いね!」
「失うこと」を、「できなくなる」ことを、
褒める人を聴いたことが無い。
本来は、バランスしていた両者。
赤ちゃんにとって、
「できる」と「できない」
「える」と「うしなう」
は中立で、どちらも同じ価値観なんだけど、
あまりにもマーマーに褒められすぎた。
片側だけを。
過剰に褒められたそのツケは、
晩年に呪いのように襲い掛かる。
「出来ていたことが、どんどん出来なくなる」
「得ていたものが、どんどん失われて行く」
のだから。
でも、その先にはきっと「優しさ」が待っている。
出来ないことが増えるという事は、
仲間が増えるという事。
得ていたものが失われるという事は、
周囲に豊かさが行き渡るということ。
出来ないことの数だけ、他人が必要になる。
何でも1人で出来るなら、世界人口は1人で良い。
歩けなくなったら、杖を突くようになる。
そして街を車椅子で歩いていたら、
きっと、「助けてくれる人」に出会う回数は増える。
優しさが増える。
街に隠れていた「優しい人」の人数に気づける。
こんなに「助けてくれる」「心優しい人」がいっぱい居たのか、
と。
原理的に、
出来ないことの数が増えるだけ、
この街に優しい人が増えることになる。
世界を見る目が変わる。
「こんな、クソみたいな世界!」
から
「こんなに素晴らしい世界だったのか」
へ。
徐々に徐々に「世界」を「素晴らしい世界」に観れるようになって行き、
そして最後は世界が「本当の天国」になる。
というか、マジの天国へ行く(笑)
そう考えると、
失うことは、天国行きの準備期間なのかもしれない。
「出来ていたこと」は、死ぬまでに全部「できなく」なる。
「得たモノ」は、死ぬまでに必ずぜんぶ「失う」。
「得た」数だけ、必ず「失って」帰る。
「できた」数だけ、必ず「出来なくなって」帰る。
0で産まれ、0に還るだけ。
更年期ショウガ、幼年期ミルク。
この転換期に、どう向き合うか。
昨日、スノボして一番痛感したのは、
「寒いから部屋に戻りたい欲求」の方が「スノボで遊びたい欲求」を、
上回るようになってること。
おっさんに猛吹雪は応える。
部屋はぬくい!
まぁ今日は、
ニセコに晴れマークだから、期待しよっと。
失い続ける人生、気楽な1人旅。
折り返し地点は、もうとうに過ぎている。
もっと深く、哲学的に考察したい人は↓この過去記事も
★サノバロック全国ツアー『三貴神同伴』
近い都市名をクリックしてね
チケットこれから発売の都市
松山 岡山 京都 東京
↓今日は下の2つのボタンを押す祭、
「得た分だけ、必ず失う。死ぬまでにキッチリ0に戻される。」と言いながら↓ポチ↓ポチ
さとうみつろう
日本の作家・ミュージシャン。中3の長男コクトウ君と、小5の長女ザラメちゃん、4才になった次女ミリンちゃんの3児のパパ。石垣島で生まれ中学は大分県、大学は北海道。社会を変えるためには「1人1人の意識の変革」が必要だと痛感し、大手エネルギー企業から独立。本の執筆や楽曲の発表を本格化し、初の著書がシリーズ累計30万部のメガヒットを記録。10代の若者を中心に多くの支持を集める。ところ…
↓ページいいねであなたのタイムラインにお届け↓