今日からボノスー3日間。
北海道に居ると、なぜか沖縄の自分の畑のことを想います。
沖縄に居ると、北海道に行きたいんだけど。
人間は、無いものねだり。
仕事で忙しい時はヒマになりたいと思うけど、
暇なときは忙しくなりたい(生活に張りが欲しい)。
彼氏が居る時は独り身になりたいし、
独り身の時は白馬の王子様に来て欲しい。
旅先でホテルの中に居る時は外に観光に行きたいけど、
観光で回ったら「ホテルで休んでたら良かった」。
こうしてイマココじゃないことを常に「想う」のが人間のサガなんだけど、
今日の話しは、
「だからこそ今に集中しなさい!」とか、
「只管打座!」とか、「瞑想!」とか
そんな、よく聞く話しじゃなくて。
そもそも、イマココは想えないべや?っていうお話し。
(なぜ北海道弁?)
いま目の前に見ているものを、
「想う」ことなんて誰にもできない。
だって、見ているんだから。
その映像入力(網膜刺激入力)の方が「想像」より格段に強いもんで、
見ているモノは、「想え」ない。
リンゴを見ながら、リンゴを想えたら凄い。
「え?簡単です」って言っている人の、
その脳内にあるリンゴは、目の前のリンゴから感覚器官を通してインプットされたリンゴであり、
想像の部位を使って再生しているリンゴではない。
「見て」いるモノは、「想え」ない。
機能がそもそも違う。
①
目の前で起こっていることを感得する方法は、
見る、嗅ぐ、触る、聴く、味わう。
②
そして、目の前で起こっていること以外のことを感得する方法が、
「想う」である。
でさー、
人体に「想う」という機能が(感得するための機能が)デフォルトで用意されているってことは、
別に煩悩って自然なこと・・・、
目の前以外のことに気が行くのは、至ってナチュラルなことだと思うんです。
「イマココに集中しろ!」とか歌っておいて、なんなんですが。長男ですが。
むしろ、最近のスマホ社会では、
「見る」があまりにも強いので、
「想う」という機能がぜんぜん使われていない。
常に、YOUTUBEかTIKTOK見ている。
だから、
あなたが、「ここじゃないどこかへ行きたい」と、「想う」のは、
ぜんっぜんイイコトだと思うんです。
その「どこか」を脳内で再生することで、
少しずつ組み立てて、組成を変えて、リアルにして、
そしてまたその場所へ戻った時には、
目と耳から入って来た情報も加えて、脳内設計図を「建て直す」。
「どこか」に居る時に、いつもの日常を脳内で何度も「いじくりまわして」。
会社以外の人と居る時に、会社の人を何度も脳内で「いじくりまわして」。
そしてまた「その場所」に戻ることで、又はその人と会うことで、
自分側(レセプター側)の脳内設計図が変わってるのだから、
その人も変わるはずである。
現実×受け手の想い=あなたの世界
だから。
『想い』の粒子はグラビトン↓
『見る」の粒子はフォトン↓
まぁとにかく、
目の前のことは「想えない」よなー、
という気づきと、
でも「想う」機能は人間に付いてるよなー、
ってことと、
最近は「網膜刺激」が多すぎて、
想う機能を使ってない人多いよなー(自分も)
というつぶやきでした。
良い週末を。
↓イマココに居ようぜ!という歌
誰もが常に「イマココ」にしか居れない、
「いつかのどこか」には絶対に居れないけど、
だからこそ、『想う』を通して「イツドコ」にアクセスしよう。
現代人はイマココに居すぎ。
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さとうみつろう
日本の作家・ミュージシャン。中3の長男コクトウ君と、小5の長女ザラメちゃん、4才になった次女ミリンちゃんの3児のパパ。石垣島で生まれ中学は大分県、大学は北海道。社会を変えるためには「1人1人の意識の変革」が必要だと痛感し、大手エネルギー企業から独立。本の執筆や楽曲の発表を本格化し、初の著書がシリーズ累計30万部のメガヒットを記録。10代の若者を中心に多くの支持を集める。ところ…
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