石垣島の家の隣に、おばあちゃんが猫と住んでいた。

母によると、ある日、その飼い猫がカラスの赤ちゃんを食べたらしい。

すると、カラスのお母さんは、家の中まで入って来て、おばあちゃんを突っつく。


隣の家である、うちの家におばあちゃんが来た時に、

それでもカラスが家に入って来て突っつくので、

「どうしたんですか?」

と母が聴いたら、

「いえね、これこれ、こういう訳で」

と飼い猫の話しをしたそうです。


そして、その翌日、

そのおばあちゃんは、家の前の道路で車に轢かれて死んでしまった。


この一件で母は、「カラスって本当に何かあるのね」と思ったらしい。




さて昨日、レコーディング終えてスタジオを出ると、

大量のカラスが飛んできて、上空で「かぁかぁ」鳴いている。

おれ、呪われてるんか?

ってくらい大量。



駐車場に向けて歩いても、ずっと上空に飛んでる。

すると、子供たちがやって来て、

カラスの鳴きまねをして、石を投げて、

笑ってどっかへ行った。







子供って、最強だよなと思った。


怖れを知らない。


「怖れを知らない」というのは、どういうことか。


「2択のうち、行きたくない道が無い」

ということ。


大人になればなるほど、

貧乏よりは、金持ちが。

痛い想いより、楽な思いが。

病気より、健康が。

マックより、お魚が。


選択肢が狭まって行く。




本来、全てのことは「食べる」か「食べない」かの2択、

「やる」か「やらない」かの2択、

「選択する」か「しないか」の2択。

とにかく、二択。



どんな事象であれ2択があって、

大人になるほど、その片方だけを通りたいと片寄ってしまう。


となると、もちろん生きるのが困難だ。

だって、通れる道が決まってるのだから。

家に帰るまでに、どの道も通れる人と、左にしか曲がれない人では天地の差。




子供は「怖れを知らない」。



どっちの道にだって行ける。

だって、「行きたくない道」が無いから。



「こっちの方がダメだ」

「カラスを怒らせちゃダメだ」

「呪われたらダメだ」

「死んだらダメだ」

「怪我したらダメだ」

「転んだらダメだ」

「石投げたらダメだ」

「笑ったらだめだ」



上の全ての「一方通行」を持っていないので、

各選択肢において(人生の「各瞬間」において)自由にどの道でも行ける。



怖れを知らないというのは、
「行きたくない道が無い」と言う意味である。


それこそ、最強の状態である。



 


そんな、最強の子供たちがカラスを軽く追い払う姿を見て、

あぁ、おれも生きにくい老人になったなぁと思ったイェスタデーでした。

さよなら。

かーかー。







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▼この記事を書いた人 Writer's Info

さとうみつろう

日本の作家・ミュージシャン。中3の長男コクトウ君と、小5の長女ザラメちゃん、3才になった次女ミリンちゃんの3児のパパ。石垣島で生まれ中学は大分県、大学は北海道。社会を変えるためには「1人1人の意識の変革」が必要だと痛感し、大手エネルギー企業から独立。本の執筆や楽曲の発表を本格化し、初の著書がシリーズ累計30万部のメガヒットを記録。10代の若者を中心に多くの支持を集める。ところ…

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