3年前に行ったチェンマイで、

朝食の時にホテルのオバちゃんが。


「私が今朝、市場でとびっきり美味しいマンゴーを仕入れて来たわ」

とイキイキしながら僕に言って来た姿を見て、


あぁ。


この国にはまだ、

「腕の見せ所」があるのか、と感心した。




例えば、日本で八百屋に行ったとして。

というかスーパーの野菜コーナーか。


どの野菜も「同じカタチ」「同じ糖度」「同じF1種」。

そこに、固有の違いなんて無い。

だから、野菜を選ぶ作業において「腕の見せ所」なんて無いのだ。

せめてスイカを外からこんこんって叩く程度だろう。





↑これはフィリピンのカミギン島だけど、

ここの野菜市場も、もうカタチが揃ってる。


ただ、「値引き交渉」を惣士郎さんがしているところをパチリ。

「安く仕入れる」という腕の見せ所がある。



チェンマイに話しを戻して、




そのホテルで働く調理スタッフのオバちゃんが朝からイキイキしていた理由は、

・予算内でどんな野菜を仕入れるのか
・私が「いいもの」を選んでみせる
・私が市場で「値引き交渉」もする
・私が朝早く起きて市場に並ぶ



この全てに「腕の見せ所」がある。

仕事の中に、その人の工夫や裁量が入り込める余地がある。


逆に言うと。


仕事から「腕の見せ所」が消えたなら、

果たしてそこに、働く人の「イキイキ」が残るのだろうか?




言われた事を、
言われた通りに、
マニュアル通りに、
その文章の通りに、

ただ、たんたんとこなす。


それはもう、ロボットだ。



世界から今、腕の見せ所がドンドン消えて行っている。






どんな仕事も、マニュアルで決まっている。

スーパーで何を選んでも、同じ野菜。

ジャスコのレジで「値引き交渉」している主婦を見たことが無い。


昭和なら、

というか俺が小さかった頃(昭和55年生まれ)でさえまだ、

母が魚屋のおじさんに「もっと安くして」と言っていた記憶がある。

腕の見せ所があったのだ。

帰り道に、「あんまり安くしてくれなかったね」と言いながらも、

その姿は生き生きとしていた。


人間は「工夫」したい生き物であり、

「工夫するところ」に、人間の存在価値があるのだから。





大工さんは現場に入って、

木材を少しだけ曲げてみた。

工場から出荷された寸法からズレているから。



ママは家族のために、

少しだけ他よりも甘いトマトを仕入れて来た。



トヨタの工場では、

自動車のネジの山を、オイルが絡むように1mm削っていた。


耳の良いミュージシャンは、

平均律にならないようにギターのフレットを少しズラしていた。




そんな全ての「腕の見せ所」がある場所に、

人間の人間たる「やりがい」が薫っていた。

 



チェンマイのホテルの、あのオバちゃんは、

自信たっぷりに僕に言って来た。


「きっと美味しいわよ!私が今朝、とびっきり甘いマンゴーを仕入れて来たんだから」って。


そのホテルではオバちゃんの存在価値が輝いていて、

そして、その輝きが他の誰かをも喜ばせていた。


 

 

 



この平均化された社会でも、

どうにか「ヤリガイ」を見つけてみよう。

「腕の見せ所」に、あなたという存在が光る。






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▼この記事を書いた人 Writer's Info

さとうみつろう

日本の作家・ミュージシャン。中2の長男コクトウ君と、小4の長女ザラメちゃん、2才になった次女ミリンちゃんの3児のパパ。石垣島で生まれ中学は大分県、大学は北海道。社会を変えるためには「1人1人の意識の変革」が必要だと痛感し、大手エネルギー企業から独立。本の執筆や楽曲の発表を本格化し、初の著書がシリーズ累計30万部のメガヒットを記録。10代の若者を中心に多くの支持を集める。ところ…

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