LIVEの前日に石垣島のはっちゃんから電話がかかって来て、

「お願いがある」と。

はっちゃんからお願い事をされたことなんて無いので、

「なんなりと!」。




はっちゃん
「今、政府というか社会の目が年末年始は帰省しないでという雰囲気になっていて、

(石垣)もそう。

それはもちろん分かるんだけど、

お母さんだけは、自分の子供を拒否しちゃダメでしょ。


「帰りたい」と子供が言っているのなら、

近所も社会も世界中さえ敵に回したとしても、

自分の子供は受け入れないと。

少なくとも子供には「お母さんは絶対にあなたの味方」だということを全力で伝えないとね。


今年は我慢、来年があると言うけど、

子供にとっては「今」しかない、そんなタイミングだってある。

来年、会えなくなるかもしれない。

社会に追い詰められていて、でもお母さんに「帰りたい」とも言えず、

途方に暮れたその子は、どうすればいいの?

ましては、お母さんの方から「帰って来るなよ」なんて。」




さて、この電話のちょっと前に、

僕は医療従事者とLINEしていた。

実際に現場は、軽症者のケアも一律対応とのことで、

人員不足でてんてこまいだそうで、

「GOTOとか言ってる政府が許せない!」

とのことだった。




さぁ、ここにSNSがどういう性質のモノなのか、

そして、この世界は必ず矛盾を孕むモノであるということを説明したい。




このブログは、SNSである。

だからここで僕が、

「みんな、必ず年末はふるさとに帰ろうぜ!ひゃっほーい!!!」

と書くことは無い。


一方で、もしも僕の子供が(まだ中学生だけど)、

社会に出ていて、

「パパ、今年の年末は・・・ダメかなぁ。

でも、どうしても帰りたい。」

って相談されたら、

「何があった?絶対に帰って来い!」と言う。


きっと、医療現場で大変な状況だという前出の彼女だって、

自分の子供がそう言ったら、

「帰っておいで」と言うだろう。


SNS上に踊る言葉は、

特定の誰かへ向けたメッセージには成り得ないということである。



誰が書いたとしても、

「大勢の人へ向けたメッセージ」になるのがSNSである。


逆説的に観ると、

この「仮想空間上」には誰に向けたメッセージも無いということになる。

それは「セケン」に向けたメッセージなのだから。


ここまでの話しはよく聞くので、多くの人が理解しているだろう。

ママ友のインスタの画像と、その目線が、

どう考えてもおかしいことからも分かる通り。

それ、誰に向けたメッセージ?みたいな。


そう、

「セケン」に向けたメッセージが踊る場所がSNSであり、

そこには誰に向けたメッセージも無いのだ。



ところが、

SNSばかりを観ていると、

「隣のAさんは、晩ご飯がキャビアだ」

「会社のBさんも、朝ごはんがフォアグラだ」

あれ?

ひょっとして、みんな世界三大珍味を食べてるのか?



と勘違いしてしまう。

当然だけど、インスタ映えするその画像は「セケン」へ向けたメッセージだ。

特定の誰かへ向けたメッセージではない。

きっと、そのお母さんはショートメッセージで息子へ、

「おい、今晩、納豆ご飯な!」と言っているはずだ。


何より世界三大珍味なんだから、

毎日たべられたら、「珍し」くもなんともない。

世界三大常味になる。




さて、そこで冒頭のはっちゃんからのお電話。

もしも、東京に出て行った子供たちが、

「あれ?A君も帰省しないって言ってる」

「あれ?Bさんも帰省しないって言ってる」


こうして、「セケン」へ向けたメッセージを、

「私個人」として受け取ってしまうと危険だ。



この人だって、娘から、

「いま、大変なの。どうしてもお母さんに会いたい」と言われて、

断るはずが無いだろう。


もちろん、帰ったらセケンからは大ブーイングが起こる。

「大臣のお前が帰省するなと言ったんだろ!」

「それなのに、自分の子供は帰省させるとはどういうことだ!」

と。


分かるだろうか?

セケンからはブーイングが起こるのである。

批判され、叩かれるのである。


でも、それは「セケン」だ。

「セケン」に人格は無い。

特定の個人はそこには居ない。



また、もちろん西村大臣の他の選択として、


「父さんが、経済再生大臣として日本人みんなへ「今年は我慢だ」と言ってるんだ。

そんな父さんの娘が帰っていたとなると、バレたら大変だ。

いま、会社でどんな状況か分からないけど、

今年だけは絶対に帰っちゃダメだ!」


と突き返すことだって出来る。

「セケン」からは、ブーイングは起こらないだろう。

いや「セケン」は絶賛するかもしれない。


でも、娘の気持ちは?






戦前、大政翼賛会の末端組織に「隣組」というのがあった。

住民同士を「監視」させ合うことで、

人民の「スタンダード(普通)」をコントロールして行った。


「あれ?なんだかおかしいな?」

という気持ちのことである。




「あれ?なんだかおかしいな?でも、みんなそうしてるし。」

「あれ?ほんとうかな?でも、わたし以外は納得してるみたいだし。」

「え???これはさすがにおかしいと思うけど、でも、、、みんなそうしてるのか。」


こうして、実は水面下では国民全員が誰一人納得していないルールが、表でまかり通って行った。

みんな「セケン(隣の目)」を相手にしていたからだ。



僕は、「実家へ帰ろう!」とも言わない。

逆に、「今年だけは、実家へ帰るのはやめよう!」とも言わない。

なぜなら、ここはSNSだからだ。


ただ、セケンの全てを敵に回してでも、

特定の個人である「家族」には伝えたいメッセージだってある。





はっちゃん
「今、政府というか社会の目が年末年始は帰省しないでという雰囲気になっていて、

(石垣)もそう。

それはもちろん分かるんだけど、

お母さんだけは、自分の子供を拒否しちゃダメでしょ。

「帰りたい」と子供が言っているのなら、

近所も社会も世界中さえ敵に回したとしても、

自分の子供を受け入れないと。


少なくとも子供には「お母さんは絶対にあなたの味方」だということを伝えないとね。


今年は我慢、来年があると言うけど、

子供にとっては「今」しかない、そんなタイミングだってある。

社会に追い詰められていて、でもお母さんに「帰りたい」と言えず、

その子はどうすればいいの?

しかも、お母さんの方から「帰って来るな」なんて。」





ちなみに、植物と会話ができるはっちゃんは、

お母さんもそうだけど、大地(故郷)だって、産んだ子を拒否しないのよ、

と言っていた。


ふるさとは、世界中のだれを敵に回そうと、

「あなた」を拒んだりしない、と。




僕も、

ニンゲンはその土地の「名産品」だと思っている。

Aという県、Bという北海道、Cという街、

それぞれ、その故郷が産んだ「特産物」であり「名産品」こそが、

ニンゲンだと。



ということで、この曲を歌うことになったのでごわす。


14:11~から観て下さいm(__)m
はっちゃんについて説明しています。

 

 


はっちゃん
「みつろう君のブログを読んだ子供たちや、お母さんが、

実際には帰らなくても良いから、

「家族はいつでも味方なんだ」と、その葛藤から解放されたらなーと思って電話したの。」




ここ、若い子はあまり読んでないと思うけど(笑)

いちおう、SNSで描いてみました。





帰らない事のメリットも、めっちゃあるみたい↓

「義母」と「母」の違いか?








とにかく、帰らない人も、帰る人も、
年明けまでにぜひ、第7倍音と、第11倍音を浴びておいて↓

 



 

 

 





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▼この記事を書いた人 Writer's Info

さとうみつろう

日本の作家・ミュージシャン。中1の長男コクトウ君と、小3の長女ザラメちゃん、1才になった次女ミリンちゃんの3児のパパ。石垣島で生まれ中学は大分県、大学は北海道。社会を変えるためには「1人1人の意識の変革」が必要だと痛感し、大手エネルギー企業から独立。本の執筆や楽曲の発表を本格化し、初の著書がシリーズ累計30万部のメガヒットを記録。10代の若者を中心に多くの支持を集める。ところ…

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