対向車線で、車と車が衝突した。
信号待ちで止まっていた車に、後ろからバーンとぶつかっていた。
無ブレーキでツッコんでいたので、スマホ運転かよそ見運転だろうけど、
人間は、さすがに後ろの車の操縦はできない。
当たり前と言えば、当たり前の話しだけど、
誰にも自分の後ろの車のコントロールは出来ない。
どれほど前に気をつけて生きていても、
後ろの車が自分にぶつからないようにというコントロールは出来ない。
あなたは後ろの車の人が「スマホを見ないように」気をつけることも出来ないし、
どの車を「自分のうしろにくっ付けないようにしよう」という選別も出来ない。
それは自分のコントロールと関係なく、急に、やってくるのだから。
それなのに、僕はこれまで後ろから車がツッコんで来た事がない。
こんなにツッコミどころ満載の人生なのに、
一度もツッコまれた事が無い。
運転歴は長いので、これまでの「後続車」はゆうに1万台は超えるだろう。
もっとかもしれない。
僕の車の「後ろについた車」の総数は。
その10万台もの車が、一度もツッコんだことが無い人間と、
いま、まさに目の前で「どーん!」ツッコまれている知らない車とのコントラスト。
先週、関東全域で目撃された「火球」は習志野隕石と名付けられて、
千葉のマンションの中庭と玄関前で見つかったとか。
これなんて、100%コントロール不可能。
自分でどれほど頑張ったって、「隕石を自分に落とさない方法」は無い。
後ろからの車、横断する電車、飛行機、隕石、
急な転校生、会社の上司、スーパーの強盗。
数え上げたらキリがないほどの「コントロール外のモノ」に囲まれ、
それに当たっていないあなた。
誰に感謝すれば良いか分からないけれど、
あり得ない程のこの奇跡に、
「センゾサマ」「カミサマ」ありがとうという感謝の念が湧くのだろう。
誰に感謝して良いのか分からないけど、
確実に「守られている」という実感が残る、
このコントロール外の事象たちに。
まぁ、何が言いたいのかというと、
隕石が落ちた轟音くらい、
対向車線で鉄のカタマリ同士がぶつかる衝撃音は、デカかった。
けっこう、運転が荒い方で、信号とかも平気で無視するM氏も、
かなりビビッて、
そこから家まで、そろり、そろりと運転した。
「気をつけ」ながら。
でも、よく考えると、
「後ろにぶつかって来るナニモノか」に対しては、自分では気をつけようが無いよな、
と考えるに至り、
「さっきのあの人は、自分で気をつけようが無いモノにやられたのか」
と思い、
「じゃあ、自我のコントロール(錯覚)を超えた事象なんじゃん」
となりーの、
「わしゃ、これまでも気をつける方法が無い事象たちなのに、ぶつかってない」
で、
「やば!なんか知らんけど、あざーす!」となり、
誰に感謝すれば良いの?
って思った瞬間に便利だったのがやはり、
「センゾサーマ」「カミサーマ」だなぁと。
まぁ少なくとも僕は、
自分で「気をつけても」どうしようもできない事象たちから、
守ってくれている存在たちに、
「運」といううぬぼれた言葉だけはつかいたくない。
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↓それではここで、
実際に「センゾサーマ」「カミサーマ」という対象で当たっているのか?
「自己ではコントロール不可能な事象たち」が、
「自己にぶつからなかったこと」に対しての歓喜を、
「センゾサマ」「カミサマ」という単語で昇華する行為ってのは、妥当なのかと言う検証を。
まず、僕の隣でぶつかった車の人は、
あの日、あの瞬間、あの時刻に、あの位置、
に「居たせいで」ぶつかった。
これは、その人にはコントロールできない。
そして、
ぶつからずに居た美少年の車が、
あの日、あの瞬間、あの時刻に、あの位置、
に「居た」のも、自力ではどうしようもコントロールできない。
ところがである。
あの日、あの時、あの場所に、
俺の車が居たのは、
俺の12代先祖の、タゴサクさんとかが、
「もうちょっと太っていたら」、
その影響で、11代先祖の、タマルニーニャさんの行動が変わり、
その影響で、子孫の、タランティーノ氏の11月の過ごし方が変わり、
その影響で・・・・と続きまくり、
あの日、あの時、あの場所に、子孫の車が居たのである。
要するに、実際マジの話しとして、
先祖の生き様が(良いにツケ、悪いにツケ)影響して、
俺は「あの場」に存在していた。
まぁそもそも、先祖が存在したお陰で、あなたは「ソコ」に居るのだから、
こんなん至極当然の理論である。
あなたに習志野隕石がぶつからなかったのは、
先祖さまのお陰なのである。
一方で、「カミサマ」という存在は、「全体性」のこと。
この宇宙にある「全ての素粒子の集合体」のことを、神さまと呼ぶ。
この宇宙の「全ての構成要素」の総量が神さまである。
となると、
あの日、後ろに車がツッコんだのも、
ツッコまなかったのも、
全体の「動き」が重なった結果なので、
(後ろの車の鉄の原子も、運転手の行動も、その車を後ろに付けた流れも、全体性による影響)
後ろの車がぶつからなかったのは、
カミサマ(全ての全て)のお陰なのである。
↑発見してすぐに家の中にしまったのが、左側の破片なんだって。
でもって、翌日にマンションの管理人と中庭を捜索して見つけたのが、右の破片。
右がほんのり「赤い」のは、たった1日の風雨?または外気?で、
錆びたから。
酸化したから、右の破片は赤い。
宇宙から、こんなのが降って来るってだけでも、
わしゃロマンティーノ過ぎて、「全体性」を想わずには居られないけど。
とにかく今日も、無事にこの世界を歩かせて頂いて、
ありがとうございます。カミサーマ、センゾサーマ。
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さとうみつろう
日本の作家・ミュージシャン。中1の長男コクトウ君と、小3の長女ザラメちゃん、最近1才になった次女ミリンちゃんの3児のパパ。石垣島で生まれ中学は大分県、大学は北海道。社会を変えるためには「1人1人の意識の変革」が必要だと痛感し、大手エネルギー企業から独立。本の執筆や楽曲の発表を本格化し、初の著書がシリーズ累計30万部のメガヒットを記録。10代の若者を中心に多くの支持を集める。ところ…
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