初詣も素敵だけど、

 

オワリモウデもぜひ。

 

 

年末、特に12月31日の黄昏時の境内が好き。

 

あと数時間で迎える初詣の準備にバタバタ駆け回る神職さんたち。

 

左右の路上に露天商の人たちが急ピッチで設営。

 

それら人間事の全てをよそ目に、

 

静まり返る境内。

 

 

 

もうすぐ終わる今年という「区切り」へソワソワする街に、

 

何かが新しく始まるような予感を勝手に胸に宿している人々が重なり、

 

「波動」としか呼べない独特な雰囲気が染み出ている黄昏の空に、

 

変わること無き運行を今日も終えた太陽が沈む。

 

 

オワリモウデへ、ぜひ。

 

年の始まりに神社に行くと、

 

「今年も1年間よろしくおいします」

 

と、願ってしまう。

 

 

願ってるからには、信じていない。

 

「よろしくお願いしないと、良い方向に行かない」と。

 

「頼まないと、世界は、神さまは、イイコトを起こしてくれない」と。

 

願っている人は、来年という素晴らしい未来をきっと信じていない。

 

 

年の始まりに行くから、

 

まだ観えぬ未来への不安と相まって、「願掛け」になってしまうけど、

 

年の終わりに行くと?

 

 

2018年がもうすぐ終わるのに、

 

「2018年が良い一年になりますように」なんて言う人は居ないだろう笑。

 

そこにはもう願い事(不満)は無い。

 

出来ることは、静かな振り返り。

 

 

静かな境内で思い返せば、

 

2018年が良い年だったようにしか見えないだろう。

 

すると、感謝が湧くだろう。

 

「ありがたい」という視点で、目の前を観るようになるだろう。

 

そのまま、2019年へ向かえば、

 

脳は「観たいモノしか観ない」性質があるから、

 

2019年も、必然的にいい年と成る(観えてるだけ)だろう。

 

 

オワリモウデへ、ぜひ。

 

 


 

 

 

 

願いとは、不満のこと