みつろうを探せLEVEL1

 

 

「パーパー、危ないからそんなことやめて!」

 

「そんな所、立たないで」

 

「登らないで!」

 

「ハンドルちゃんと握って!」

 

 

誰に、似たのだろう?

 

メチャクチャ慎重派?になっているコクトウ君に、

 

今回のみちのく二人旅でパパは何度も注意された。

 

 

 

「ぜんっぜん、危なくないじゃん!ここで、どんなケガが出来るんじゃい!

 

下は崖とかじゃないよ?落ちても、少し転がるだけだよ?」

 

 

 

という、100%セーフティな場所にさえも、

 

「立たないで!」

 

「パパが死んだら、コクトウどうすればいいのさ!」

 

と(笑)。

 

↑ここに立っただけでも、最初は怒られた

 

 

 

旅行前にママに、

 

「パパは無茶するし自然が好きだから、

 

川とか山とか、パパが行くって言っても、絶対に行かないでよ!!」

 

 

と念を押されて?

 

というか、念に押されて「念と共に飛んで来た」みたいな状態だったのもあるだろうし、

 

小学5年にもなると、現実的な計算が働いてきて、

 

実際にパパに何かあったら、【旅行先の見知らぬ土地】で、子供一人でどうすりゃいいの?という思いもあったのかもしれない。

 

 

とにかく、何度も「危ないからやめて!!」と注意された。

 

 

誰に、似たんだろう??

 

 

みつろうを探せLEVL1の正解(ここも、まるで危なくない木の上です)

 

 

 

 

 

そんな、「誰に似たんだろう?」という経験

 

ありませんか?

 

 

子供に対してでも良いし、子供が居ない人は親に対して。

 

「いったい、誰に似たんだろう?自分は、こんな○○な性格とは真逆なのに!」

 

と。

 

 

量子力学的な観点からすると、

 

「誰に似たんだろう?」という発言をしている本人に、100%似ているはずです。

 

母親の遺伝なんて1%も関係ありません。

 

今は「観測」の観点における、現実構築のはなしです。
 

 

「誰に、似たんだろう?」という発言をしている人は、

 

二元世界の【両極でセット】という法則に気づいていないだけで、

 

100%、その観測対象物は本人に似ています。

 

 

【表側】が出現するか(似るか)、

【裏側】が出現するか(裏側概念に似るか)

の違いだけです。

 

 

 

例えば、【危ないこと】の反極には、【安全】があり、

 

これは絶対に【2つで1セット】です。

 

【危ない】という概念を形成するためには、

 

【安全】という反極が、

 

絶対に絶対にセットで必要になるわけです。

 

 

この、【危ない】と【安全】がセットになってこそ、

 

【冒険というジャンル】が組み立っているのだから。

 

 

 

 

宇宙に無数にある【ジャンル】の中から、

 

その観測者はいま、特定の【ジャンル】である【冒険】というジャンルを選びました。

 

すると、選ばれたその【冒険というジャンル】には両極があり、

 

【安全】と【危険】が観測できます。

 

 

いま観測者は、【この特定のジャンル】に興味があり、

 

【それ】を観測中な訳ですから、

 

その人の意識はこの両極を行ったり来たりしているだけなのです。

 

 

 

危険が大好きな冒険野郎ほど、

 

意識の裏では安全にメチャクチャ気を使っていたりしますよね?

 

 

危険が好き!と言っているようで、

 

それは、「マイナス安全」が好き!と言っているだけなんです。

 

図にすると、明らか。

 

 

①「危険が大好き!!」と言っている人は、

 

【マイナス5安全が好き!」と言っているだけ。

 

 

②「私は安全が少し好き!」と言っている人は、

 

【マイナス3危険が好き】と言っていることになるので、

 

 

①「危険が好き!」と口で言ってるけど、【安全が好き】なのです。

 

 

②「安全が好き!」と口で言ってるけど、【危険が好き】なのです。

 

 

どちらも、【冒険】という特定のジャンル内で、遊んでいるだけです。

 

 

 

 

心理学でも「欲求」を解放するときは、両極を解放します。

 

「コントロールしたい」欲求がある人は

 

実は、

 

「コントロールされたい」という欲求も持っています。

 

 

「現実を支配したい!」と口では言っているのに、

 

相反する概念である、

 

「誰かに支配されたい!」欲求も同じ量だけ持っているのだから、

 

表層しか観えない自我には、「????」でしょうけど。

 

 

 

「自由になりたい!」人は、実は「束縛されたい!」という相反する欲求も持っています。

 

【自由】と【束縛】という、両極がある特定のジャンル、

 

【緊縛プレイ】というジャンルを選んで、

 

その両極間を、行ったり来たりして遊ぶ行為が、

 

「観測」だからです。

 

 

 

で、冒頭に戻って。

 

 

 

「俺は危険が大好きなのに、安全が好きなこいつは、

 

誰に似たんだろう?」

 

 

と、木の上に登って威張ってた変なお父さん。

 

息子は、彼に似たんです。

 

反極も、同極も、同ジャンル内だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

てことで、今後、

 

「その性格、いったい誰に似たんだろうね?」と子供に(旦那へのイヤミで)親が言ってるのを目撃した場合は、

 

100%、あんんたに似てるよ

 

と思ってもらって、結構です。

 

 

「似る」「似ない」は、既に同一のジャンル内だから。

 

 

 

 

 

 

↓これは親子だけじゃなく、観測対象(あなたが他人と呼ぶ人)を観て、

 

「なんで、あんな性格の悪い人が居るの?私には、絶対にあんな性格ないわ」

 

と思ったなら、その人も、あなたの逆側の極を演じているだけです。

 

この本に↓書きましたが

 

 

 

たいていの場合、

 

【特定のジャンル】の【反極側】を演じてくれているのが「他人」で、

 

【良いと勝手に思った側の極】を「わたし」という登場人物が演じます。

 

そして、その両者を観ている場所に、本当のあなたが居ます。

 

 

潜在意識を他人が演じ、表層意識を自分が演じ、

 

どちらも、本当は私なのです。

 

 

自由になりたい人は、裏で「束縛してほしい」という欲求があり、

 

有名になりたい人は、裏に「隠れていたい」という欲求もある。

 

 

 

なんか、親子旅行記を書くだけの予定が、長くなったので、

 

極をリセットする方法などについて、

 

また明日書けたら。

 

 

 

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