この世界で一番恥ずかしい行為とは、

 

「自分で生きている」という思いである。

 

「自分が選択している」という勘違いである。

 

「自分が動かしている」という思い上がりである。

 

「自分にはチカラがある」という無知である。

 

 

 

きっと、本当の真実にハタと触れたトキ、

 

その身は、消え入ってしまいたいほどの恥ずかしさに震え上がるだろう。

 

 

 

どうして、「動かしている」気になっていたのだろうか。

 

動きの中の、1要素でしかない「わたし」が。

 

 

どうして、「創り上げている」気になってたのだろうか。

 

創られた世界で、創られた台本を読み上げるだけの「わたし」なのに。

 

 

どうして、チカラがあると思い込んでしまったのだろうか。

 

チカラとは、宇宙開闢から連なる相互作用における、現時点での最終端なのに。

 

 

 

何度も伊勢に来させて頂いてますが、

 

自力で来たことなんて、一度も無く。

 

運ばれるように、流れの中の1つとして「この身」はここへ辿り着く。

 

 

 

今回は、高島亮さんに教えてもらった小林正観先生のツアーに参加して伊勢へ。

 

昼は、講師たちによる「ワライオープン」という講演会。

 

そして、夜は特別な「夜間参拝」。

 

 

550名の参加者と、「無言で」内宮のアマテラちゃんの前まで歩き、

 

辿り着いた正宮前で手を合わせて、5分間「ありがとうございます」を小声でつぶやく。

 

 

 

正観さんにお会いしたことも、書籍を拝読したことも無いので、

 

どういう趣旨でこのようなイベントになったかは分からないのですが、

 

550名が×7分間「ありがとうございます」を、

 

暗闇の中でつぶやくその波動は、伊勢神宮にとっても有り難いエネルギーになっていると感じました。

 

 

 

写真撮影NGだったから撮らなかったけど、

 

寝てるはずの太陽神に、太陽が沈んだ後に550名が急に、

 

「ザッ!ザッ!」という無言の足音だけでやってきてさ(笑)

 

 

なんか「ありがとうございます」とか総数15万回くらいブツブツ言って、

 

返って行く。

 

 

 

 

マジ迷惑なはずだけど。

 

 

僕が正宮で意識を合わせた存在は、

 

笑ってその様子を楽しんでいました。

 

夜くらい休みたいだろうに、器がデカいでぇ。

 

 

↑正観さんツアーの名物??らしく、

 

「鶴」と「亀」に挟まれて写真を撮ると、長生きするそうで。

 

 

 

 

 

 

 

こちらは、イマこの瞬間の、こう。

 

 

2泊3日の、楽しい2人旅の予定でしたが、

 

「台風で欠航になりました」というメールが朝一でANAさんから入り、

 

5人同室だったので横に居た亮さんが「結構、結構」と言い、

 

2人旅は、3泊4日へ。

 

 

 

 

いつもお仕事頑張ているこう君へお伊勢さんからの、プレゼントですな。

 

思いがけずに手に入れた24時間を、

 

さらに伊勢の奥地へと案内してみよう。

 

 

 

 

自力があるという思いより、恥ずかしい行為はありません。

 

体験者は、カタルです。

 

自信を持って言えますが、その恥ずかしさは、

 

この世の全ての恥ずかしさの総量総和とも比べられません。

 

 

 

 

真理(本当は、何一つとして「自分」は為してない)に触れた瞬間、

 

死ぬほど恥ずかしくなりますよ('◇')ゞ

 

 

 

まぁ、ソレを体験する日まで、

 

自力で生きてる感覚を「貯めて」おいてください。

 

 

触れた瞬間に、積み重ねた全てのエネルギーが、

 

恥ずかしさと笑いで吹き飛びますから。

 

 

なんで「わたし」が為しているなんて、思ってたんだろう、

 

ワーッハハ(恥)(/ω\)と。

 

 

 

 

「夜の神さまと、最近仲が良い」と1か月前のブログに、

 

自分の意志とは関係なく書いて、

 

ライブハウス巡りして、トヨケの神さまに縁を頂いて、

 

そして、太陽神アマテラちゃんを、550名で夜這いするツアーに参加して。

 

 

なんとな~く、一連の流れが区切れたかな。

 

 

 

あ。

 

亮さんに、伊勢神宮の人を紹介してもらったので、

 

来年は、わらわ~ツアーとして、夜間参拝を企画できたらな~と思ってます。

 

夜の、太陽神の聖地は。

 

それはそれは、キレイな場所でしたよ。

 

 

 

冒頭の一文を、文末にも。

 

 

この世界で一番恥ずかしい行為とは、

 

「自分で生きている」という思いである。

 

「自分が選択している」という勘違いである。

 

「自分が動かしている」という思い上がりである。

 

「自分にはチカラがある」という無知である。

 

 

きっと、本当の真実にハタと触れたトキ、

 

その身は、消え入ってしまいたいほどの恥ずかしさに震え上がるだろう。