神廻りが終わったら、書店廻りっつーことで、

 

ゴッサムシティTOKYOへ来てます。

 

 

 

神おしゃ以来の『神廻り』だったんですが、『書店廻り』も神おしゃ依頼。

 

手をかけると、どこまでも手をかけたくなるもんですね。

 

 

 

大事にしたから、大切になった。

 

初めから、大切なモノなんて無い。

 

 

 

 

 

「なんで、この本にだけ手をかけるのですか?」

 

という質問を頂きました。

 

「手をかけたからです。」

 

手をかけたから、手をかけたくなりました。

 

 

 

 

 

3年前、娘がトビヒに成りました。

 

ちょうど、バシャールとの対談を終えて帰って来たあたりだったかな。

 

嫁は会社員だったので、僕がつきっきりでずーっと2週間、ザラメちゃんと過ごしました。

 

すると、どうでしょう(笑)。

 

その2週間が過ぎた後に、東京へ出張へ行ったのですが、

 

「いま、何してるかな?」

 

「トビヒ、良くなってきてるかな?」

 

「掻かなかったかな?夜は寝れたかな?」

 

と、沖縄の娘の事が気になります。

 

こんなの、初経験(笑)

 

 

 

これまでの出張で、「今頃、子供たちは何してるかな?」なんて考えた事はありませんでした。

 

もちろん、トークショーの準備、その後の片付け、ホテルで深夜までblog書いて失神するように眠る・・・と、

 

気を抜くスキが1分も無いというのも理由です。

 

 

えぇ、みつろうTVをご覧の皆さんは言い訳に聞こえるでしょう。

 

あのY村ディレクターは、ロケ先で朝から、嫁と子供にテレビ電話をしていましたね(あれ、絶対に演出です。脚本あります)。

 

 

 

大事にしたから、大切になった。

 

初めから、大切なモノなんて無い。

 

 

良い、歌詞ですね。

 

 

 

初め、『物事』は、なんだって中立

 

それに、価値を与えて行くのは、観測者。

 

初めから、大切なモノなんて、ある訳ないよね。

 

大事にしたから、

 

価値をそれに与え続けたから、

 

「大事なんだよ」と自分に言い聞かせたから、

 

「その人」にとって、「それ」が有価値化していく。

 

 

 

2作目~7作目までの本にも、もっと「手をかけて」、「価値を与えて」、「自分にとって大切な本」にすれば良かったなぁとか思うけど、

 

今はとにかく、手をかけたことで「大切」に成り始めたこの本に、力を伝えてみようと思ってます。

 

 

 

 

TOKYOのどこかの書店で見かけても、話しかけないでください。

 

きっとソックリさんです。

 

 

 

 

↓大事にしたから、「大切」になった。

 

結局、対象物はなんでも良いんだと思う。ほんと、何でも。

 

天然石どころか、セメントで出来てる石ころを道で拾って。

 

それを、毎日たいせつに磨き続ける少年。

 

他の人から見たら、「セメントに命なんて宿るかい!」と観えても、その少年にとっては「大切なモノ」。

 

隣りで、ダイヤモンドの指輪を付けたオバさん。

 

彼女の石だって、同じ。

 

「これは高いのよ」「そのために一生懸命働いたの」「銀座じゃないと売ってないよの」「わざわざ買いに行ったの」

 

手をかけて、大切になった。

 

対象物に、価値を与えるのは、いつだって「わたし」です。

 

⇒必読過去記事① )

 

 

今日の、あなたの「日常」は、どんな日ですか?

 

それを、「どう」思うか。あなただけに、決定権があります。

 

「良い日だな」と観た人に、「イイヒ」に観えるだけ。

 

「やな日だな」と意味を与えた人に、「ヤナヒ」に観えるだけ。

 

「良い」価値を、与えられるあなたであれ。

 

そうか、このトキから、この本は手をかけていたのか。かんづめ1週間(⇒ココ)。

 

 

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