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(⇒昨日の続き)
神さま
「私の名を呼んだのは、誰だい。
呼ばなくても、私はここに、あなたと常に在るのに。
常にある、君と在る私を、呼ぶ必要は、あるのかい?
私の名前は、本当に必要かい?
私に願ったのは、誰だい。
願わなくても、それはここに、あなたと常にあるのに。
常にあなたとあるそれを、もう一度「叶える」事なんて、
願いは、本当に必要かい?
沈黙を破ったのは、誰だい?
全ての音が在るからこそ、
その全ての音が互いに相殺された世界のことを、
もう一度、「静寂」と名付ける必要はあるのかい?
そこに、音(言葉)は必要なのかい?
もう一度考えてごらん。
神に名前は必要かい?
あなたに願いは必要かい?
無の音に耳を傾ける必要はあるかい?」
そういうこと~。
昨日の記事にあります通り、
伝わってないトキに、伝えたいと思うのだし、
同時に、
伝えたいと思うからこそ、伝わって無いが生まれる。
それを聞いて、
「安心」と「沈黙」が、同居してそうな感覚が伝わってくれば、
これ以上、今日のブログに文字を入れる必要はあるかい?
(⇒さらに明日に続く⇒)
↓もう一度、昨日の記事と、今日の記事を読み比べてごらん。
無には音があります。
全ての音が同時に鳴れば、それは無の音を形成します。
「逆位相」ってネットで調べれば、出てくるかな、多分。
あなたは、「神さま」と呼ぶ必要がありますか?
願いを叶えるために、叶わないを創る自分に気付けますか?
無の音が聞こえますか?
↓今日も、昨日に引き続き、
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