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『人の営みが曲げた道』
この曲がりくねった道が 社会で生活するという人間の美しさを物語る
町から町をつなぐ
この曲がりくねった道には
ここに暮らしていた人たちの、主張があり、譲歩があり
その土地の信仰の対象があり、或いは戦火の爪跡があり
それら全ての人間の営みが、有史から今日までの時を重ねるうち、
一つの大きなうねりとなって、道を曲げる
この道を曲げたのが、それらの要因である限り、
つまりは人工的な計算が及ばないということになり、
こうして道は、人智を超越した自然の、
碁盤の目のように整備された町を歩くより、
曲がりくねった道のほうこそ心落ち着くのは、
きっとその道が、「過去から繋がっている確かな道」である事を
われわれの五感が感じ取ったからだろう
平成22年8月2日 詩人みつろう
田舎に行くとさ、グネグネの道があるよね。
え?なんでこんなに曲がってるのってくらいの、道。
「ココはおれの土地だから、譲らないからな」
「お願い、店の前まで道を通して」って言った商人も居ただろう。
また、神の岩だとか、聖霊の木など、
道は、それをよけるように造られる。
道には人間の、目には見えないモノへの畏敬の念や、
戦争の爪痕という人間のおろかさも、
技術不足で道を敷けなかった場所という、人間の能力の低さも、
何もかも全てが、道に反映されている。
全ての「人間の営み」が、道を曲げたのだ。
そして、これら諸般の原因全てを繰り入れた複雑な計算は、
「もう一度、このうねり具合で道を造れ」と言われても、
ということは「道」というのは、
人工的なモノで無く自然が創り上げたモノだということになる。
道は、人間が造ったようで、自然が創り上げたのだ。
で、みつろうは、この田舎のグネグネ曲がりくねった道を歩くと、
道の横に並ぶ、防風林だか防砂林だかの、木の香りも好き。
そりゃそうだ。
だって、このクネクネ道は、過去へと続く確かな道なんだから。
さぁ、札幌の大通公園が大好きなみつろうだけど、
整備された道よりも、
どうしよう。
なーに、心配する事は無い。
人間である限り、みつろうの、趣味嗜好だって、
札幌に居るトキは、テレビ塔のあの感じが好き。
地元の木陰道を歩いているトキは、クネクネ道が好き。
どっちの道も、行ったり来たり。
行ったり、来たりで、ほら、クネクネ。
行ったり、来たりで、また明日。
↓この詩、全然、昨日の記事とは関係ないじゃないかって思った?
いや、みつろうも、ちょうど今、そう思ってた。
…じゃあ、「あいこ」ってことで、いいね?
なんか「道」の詩があったよな~って記憶だけで突っ走ると、
だから、「あいこ」ってことで、いいよね?
明日・明後日は、オワリモウデの日。
過去に繋がるクネクネ道の、一番端っこで待ってる神さまが、
あなたの全力を尽くして、出来る限り沢山の人に知らせてね。
あなたが行くときも、ご近所、お誘い合わせの上、行きましょね。
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