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昨日までの4日間にわたって掲載した、上江洲先生との対談内容。

目からウロコな内容が多数含まれていますが、

あれだけのボリュームの中にあると埋もれてしまうので、

今日はマトメを作ってみました。どぞ、どぞ。


■「わたし」について

・認識するモノが「わたし」なので、この世に「わたし」は探せない。
・「わたし」は見えないし、触れないし、言葉に出来ないし、説明出来ない。
・見えたら、さわれたら、聞こえたら、説明出来たら、ソレは嘘である。
・それでも、認識が起こっている事を証拠に、「真のわたし」は絶対に居る。
・ソレが居るとすれば、この世とは次元が違う場所である。
・何故ならこの世にあるモノは全て認識出来る「対象物」だから。
・一方的にこちらを見つめることが出来る次元にソレは居る。
・結局、「目に見えないモノをどれくらい全力で信じられるか」がカナメである。



■一つなるものについて


・一つなるものは、分離する以外の方法で何かを感じる事は出来ない。
・一点の波動すらない「無」の場所で、ソイツが、何かをしたいと思ったトキに波動が立つ。
・僕たちはソレの波動の一部として、様々に顕れている。
・波動を伝い、見ている者を辿って行くと、そこにはたった一人の同じ人が居る。
・僕の目を通して見ている者と、誰かの目を通して見ている者は、一体(一つ)である。
・たった一人のモノが、全ての分離の経験を、ソコで見つめている。
・だから、あなたの目の奥と、僕の耳の奥が行き着くところは、同じ場所。
・先生はそれを、「いつにして多身」と表現している。
・多身の一つがあなたで、別の器官が僕です、どうも。


■自己同一化について


・この現象世界は【既に撮られたDVD】である。
・無数のDVDを、一つなるモノが、DVD鑑賞室で見ている。
・DVDの中の流れ弾が、画面を突き抜けて鑑賞室に行くことは無い。
・それでも、DVDの主人公こそ私だと、自己同一化が始まっちゃう。
・全ての苦しみの原因は、その『自己同一化』にある。
・その自己同一化しているのは、「真のわたし」である。
・真のわたしこそ、真のバカである。
・DVDの中に既にいる僕たちがどうあがこうが、アイツが、「っは!俺はキムタクじゃ無い!」と気付かない限り、無意味である。
・アイツに全責任がある。
・でもって、アイツは、「わたし」でもある。
・アイツが目を覚ます現象こそ、恩寵と呼ばれている。
・こっちからすると、「知るか」の世界である。
・でも、知るかと言われているアイツも、わたしである。


■理解について


・このDVDの中に居る「わたし」が何をしようと、アイツには関係ない。
・それを聞いて、「もう何もしないぜ」となったとしても、ソレも決まっている内容。
・だから、理論やエゴで理解するのは、無意味ではない。
・知っている時は、それそのものと一体となっている瞬間だから。
・そもそも、「理解が意味ある」「意味無い」さえも、真のわたしの手のひらの中。
・だから、わたしを探し始めたのも、真のわたしの計画のなか。
・そうであれば、この流れに乗っていれば、その内見つかる。


■パラレルワールドについて

・無数の世界が、今、ここに同時並行に存在している。
・「イエスが死んだ地球」も、「イエスが生き残った地球」もある。
・全ての可能性の数だけ(無限)パラレルワールドがある。
・『既に撮られたDVD』が無数にあり、それを見ている者は一体。
・僕らは、その中の一つの地球を探査しに来た、神の探知機である。
・既にDVDの中に入っているので、他のDVDの事は思い出せないだけ。
・でも、根っこは同じだし、見ている者も同じ、一体。
このパラレルワールドに起こる事は全て過去から未来まで決まっている。
・自由意思は、どのパラレルワールドを見るか悩んでいる鑑賞室にのみ宿る。
・ということは、僕は、この目の前の世界が見たくてここに来ている。
・この目の前の世界以外の世界は全て、経験済みである。
・目の前に起こることへの感謝だけが、唯一大事なこと。


■メソッドについて


・自己をみつめるという手法は良い方法。
・この世で何をしようが、どっちみち、アイツが目を覚まさないと意味ないと言うのは、分かって無い人の発言。
・日々のこの出来事は、アイツが見たくて見に来ている。
・だから、このエゴが「瞑想」を始めたなら、それは起こっている現象だから。
・なんだかんだで、すべては他力である。
・「どうしようもないのだから、瞑想などしない」と思うのも自由だが、
そう思わせられているのも、他力のうちだと気付かなきゃ。
・だから、アイツが目を覚まさないと意味が無いと言うのはちょっと早い。
・というか、アイツはわたしである。
・自己を鑑賞するメソッドはさまざまにあるが、先生は宝玉明想を勧めている。
・みつろうは、「わたし以外の全ての目で、わたしを見る痴漢電車メソッド」。


■先生について


・真我を達成した先生は、肉体を持ちながら「ひとつなるもの」として生きている。
・クリーンなフィルターとして、真我からのヒーリングをしている。
・自由意思があり、行きたいDVDを自由に選べる。
・それどころか、別のDVDの記憶を、別のDVDへと持ちこめる。
・まぁ、一体なのだから当然である。
・右手と左手をこすると、どっちが認識主体でどっちが客体かわからない。
・右手も左手もわたしなのだから。
・そこからひとつ意識のレベルを上げて、田中も佐藤も私だと想えれば良い。
・先生は全てなので、対談はひとりでのおしゃべりみたいなものか。
・だって、さとうみつろうも、先生の一部だから。
・いや、というか、先生こそ、さとうの一部である。
・なにより、それを読んでいたあなたこそ、真のわたしである。




まぁ、そんな感じー。

サラッとまとめてみました。

他にもまとめ切れてない部分があったら、

ぜひ、あなたが、コメント欄に書きこんでちょ。



もう、何度も読み返し過ぎて、疲れたから、

今日も読み返さないで、ほぼ記憶だけでまとめちゃったので。


印象に残っていると言うか、あらためて気付けたのは、

「見ている者は、たった一体」ということ。

みつろうの目の奥で、見ている、

通称真のバカは、あなたの目の奥を辿ると居ます。


そして、この相対性の世界の中に入ってしまったら、座標が出来あがるから、

みつろうの場所と、あなたの場所が違うのは当然で、

違う人格となるのも当然です。



スーッと入ってきたら、別人で、

スーッと抜いたら、本人です。



他にも、自由意思が宿る場所も、思っていたとおりだった。

そして、だからと言って、この世でやることが無意味と思えない自分が嬉しい。



まぁ、それぞれにもう一度、読んでみて、何かほかに漏れてたら教えて。

え?読み返すのめんどくさいって?


こっちは何回よんでるとおもっとるんじゃい!!!



↓なんか、素晴らしかったよ、こんな経験が出来て。

本当に、嬉しかったです。

だから、ブログ化するのむっちゃ疲れたけど、別に、ブーブーは言いません。

明日は、対談のこぼれ話しをシェアします。

↓今日は下の二つのボタンを押す際、

みつろうになりきったつもりで、

「ブーブー、マジ疲れたんですけど!」と言いながらポチ↓ポチ↓


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