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昨日書いた、「木魚に座布団」という記事。

何だか、タイトルが、禅の公案っぽいなと思いました。


公案(禅問答)ってシってる?


公案とは、ひらたーく言えば、ナゾナゾのことである。



禅では、師匠(和尚さん)が弟子(僧侶)たちにクイズ(公案)を出し、

弟子たちはその答えを一生懸命考える。

そして、師匠に答えを告げ、正解であれば、「悟っている」と認められる


トンチで有名なアニメの一休さん。

彼も実在した禅(臨済宗)の僧だ。


一休さんを見ると分かる通り、公案は、かなりトンチが効いている。

いや、トンチというレベルでは無い。




そもそも、なんのために公案を行うかと言うと、

弟子を悟り開くためである。

悟りを開くためには、マインド(自我)を超えればよい



ひたすら無を目指して


瞑想に明け暮れて、マインドを落とす方法もあるが、

公案は逆の手法を用いる。



ひたすらマインドで考え続けることで、

マインドさえも超えて行こうというのである。




理屈を、理論を、法則を超えたところに、真理を求める。

生まれてから今日まで、「思考」のみで物事を理解しようとする凡人に、

思考を超えた理解の仕方を教える。

思考を使わない理解の仕方もあるんだよと教える。



有名な公案に、「隻手の音」というのがある。



和尚さん
「両手で拍手をすると、パチパチという音が鳴る。

じゃあ、隻手の人が(片手の人が)、

片手で拍手をすると、どんな音が鳴るか?」


弟子は座禅を組んで、一心不乱に考え始める。

考えて、考えて、考え抜く。


この公案が何を意味しているのかを考え抜く。

そして、考えて、考え抜いて、ついに思考を超越したトキに、

その音を聴く。

隻手の音を聞いたトキ、弟子は悟り開く。



だから結局、公案とは、答えることが目的ではない。

思考を超えるほど考え抜くことに意味がある。




そんな理由から、公案は、ヤバイくらい理論を超えている



例えば、こんな公案がある。


和尚
「これを棒と呼んではイケナイ。


でも棒と呼ばなければ意味が伝わらない。

さぁ、どうする?」


弟子たちは、この答えを、真剣に探さなければいけない。

ちなみに、一つの公案に対して、だいたい3年間は考え通すという。

それで理論やマインドを超えれれば、ラッキーな方。



上までの公案、意味不明?

まだまだ、甘い。こんなレベルじゃ無い。



―公案―


僧侶たちが可愛い猫を奪い合っていた。

それを見た和尚は、この争いについてなにか言い訳が出来るか?と言ったが、

誰も何も言えなかったので、和尚は猫を日本刀で切りつけた

帰って来た一番弟子は、


その話しを聞いて、頭にスリッパを載せて出て行った

それを見て、「お前が居れば猫を切らずに済んだ」と和尚は言った。



ね?

ムチャクチャでしょ?

猫を刀で切りつける師匠と、

頭にスリッパを載せて出て行く弟子

え?


ギャグ漫画ですか?

かなりシュールなジャンルに位置する、ギャグ漫画ですか?




この公案の意味を考え尽くしたところで、

何がいったいわかるのだろう?

だからと言って、僧はあきらめない。

この意味を、考えて考え尽くすのだ。


その命を賭けて。


マジで、理屈や理論では絶対に超えられない場所に、ソレがあるのだから。


次の公案。



―公案―


お茶碗を指さして、和尚が言った。

和尚
「これを、お茶碗と呼んではいけない。

さぁ、なんと呼ぶ?」



一番弟子
「切り株では無いモノ、と呼びます。」



聞くやいなや、和尚は、一番弟子をボッコボッコに殴る。




和尚
「他に、答えを思いつくものは?」


すると、炊事当番(位の低い僧)が、そのお茶碗を蹴飛ばして出て行った


和尚
「あいつを、一番弟子にしよう。」





??????




さっきの、頭にスリッパ載せて出て行った弟子と、

お茶碗を蹴飛ばして出て行った弟子を関連付けて、


デラックス「ハハーン!基本、出て行けばOKなんだな。

和尚は、出て行くパターンが好きなのか!」




とか思わないでよ。

全然、違うからね。





―公案―



和尚
「街中で完全に悟った人に出会ったら、言葉で話しかけてはいけない。

でも、黙っていてもいけない。さぁ、どうする?」



和尚
「もし杖を持っていると言う人がいたら、その人に杖をあげよう。

もし杖を持っていないと言う人がいたら、その人から杖を奪おう。



和尚
「どうして、達磨(ダルマ)はインド出身なのに、

ひげが生えていないの?」




もう、全てが、「知るか!」のレベルである。

でも、「知るか!」と諦めず、

その意味を真剣に考え抜いた者に、光明が差す(悟る)。


それが、徹底的に思考を超えて行くための手法、公案である。








ちなみに、みつろうがこのブログで、ファッ休さんについて書いてるけど、

あれは、公案じゃ無い。

あれはどちらかと言うと、「アハ体験」に近い。



なんだかヒネリの効いた問題を投げかけることで、

一生懸命考えた回答者が正解を思いついたトキに、

「アハーン!!」と脳が活性化される

茂木健一郎さんが提唱する、アハ体験に。



あなたに納得(腑に落ちる)を求めているから、あれは公案じゃ無い。




例えば昨日のタイトルから、



みつろう和尚
「木魚に座布団を投げつけたら、どんな音が鳴るでしょう?」



と、公案っぽく偉そうに聴いたとしよう。

そんな音、ぜんっぜん、予想出来るじゃん?

木魚が座布団で鳴る音。

「カッサー」みたいな音。



いいかい、隻手の音は、そんなレベルじゃないんだ。

「片手で、拍手をしたらどんな音が鳴る?」


この、レベル。

この、思考や理論をを完全に超越したレベル


それが公案なのだ。



ということで、今日はせっかくですので、

みんなで、隻手の音を考え抜いてみてください。

答えなんて無いと最初から諦めないでよ。

答えは、あるから。

考えて、考え抜くんだ!






↓この隻手の音は、非常に良く出来た公案だと思う。

日本人の和尚さんが作った公案なんだよ。

ちなみに、猫を切りつけたのは、中国の和尚ね。


え?




別に中国を批判して無いっつーの!!


ほら、すぐにナニカとナニカを関連付けて、

答えを導こうとする。


まったくもって、マインドの手の内にある。

理論を超えるんだ。マインド以外で理解する方法があるんだ。


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え?



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