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「死者はみんな浮かばれている。
うかれすぎて、あの世で、うかれポンチパーティをしている。」
やはり、死へは抵抗があるらしく、あまり、賛同を得ることが出来ない。
みつろうの昨日の投稿に、賛同してくれるのは、ゲゲゲのけ太郎くらい。
「よる~は墓場で、運動会♪楽し~いな、楽し~いな♪お化けにゃ…。」
きっとスケジュール的には、墓場で運動会した後に、
リッツカールトンでうかれポンチパーティなんでしょう。
いいですか、別にみつろうは、
お通夜の日に、あなたの自宅に行って、
棺桶の中のおじいちゃんに向かって、
「ベーロベーロべー!!死んじゃってーん!!」
って言ってるわけじゃないんだよ?
みつろうだって、大切な人の葬式に誰かがやって来て、
イエーイ!イッツァ、パーリータイム♪
って言い出したら、首絞めるもん。
そいつを、うかれポンチパーティに強制招待するもん。
遺されたあなたの気分や心情に対して、
軽率な発言をしているんじゃない。
じゃなくて、死んでしまったおじいちゃんを、
せめて、「あの世で楽しんでるな」って思ってあげてくださいって言ってるの。
あなたに、今すぐ笑顔になれ!とは口が裂けても、言わない。
悲しいでしょう。無念でしょう。
もっと、おじいちゃんと遊びたかったでしょう。
あなたは、沢山、泣いた方がいい。
無理やり笑う必要なんて無い。
でも、きっといつか、心が軽くなって来るタイミングがあるから、
そのトキにはぜひ、あなたのおじいちゃんを、
良いイメージで包んであげてください。
通夜の告別式では、
喪主
「本人も、さぞ、むねんだった事でしょう・・。」
というあいさつや、
喪主
「もう100歳の大往生、本人も喜んでいる事でしょう・・・。」
というあいさつがあります。
どちらでも良いんですが、全てのあいさつに共通しているのは、
「・・・な事でしょう」という予測を述べているという点。
そう。
死者はしゃべらない。
少なくとも、この世ではしゃべれない。
だから、予測でしかあいさつできない。
本人を、代弁することしかできない。
この世においては、
あなたの、その、「予想図」の中にしか、死者は存在できない。
あなたの想像図、においてしか、おじいちゃんは存在できない。
ドラマとかで、
「今もあなたの心に、生き続けています。」っていうのは、うまい表現だと思う。
ホントにそうだよね。
あの世はあるよ。実際に、あの世ではパーティしている。
でも、この世から、それは観測できない。
この世で、死者が存在できるスペースは、唯一、
あなたの想像図の中だけなんだよ。
どっちが、良い?
照れながら、シャンペンのコルクを、ポーンってしてるおじいちゃんと、
悔しくて、悲痛で、ボーっとしているおじいちゃん。
良い方のスペースを提供したいね。
提供できるのは、この世に居る、あなただけです。
↓死を扱うと、難しいね。
そこには、膨大な量のエネルギーが感情として顕現してるから。
この世の出口であり、あの世の入口だもんね。
無理やり笑えとは言ってないし、あなたの感情を踏みにじる気は無い。
泣きましょう。悔みましょう。
でも、あなたが死んだとして、家族がいつまでも泣いてたら、どうする?
あなたは、あの世のリッツカールトンで、タキシード着てるのに。
「・・・あ、ごめん、なんか俺、今日、やっぱ帰るわ・・。」
ってなるよねー。
ツライよねー。
目の前では、カクテルパーティしてるのにねー。
↓今日は下の二つのボタンを押す際、
あなたが死んだ日のことを想像して、
「俺のことは、気にするな。イッツア・パーリタイム!」と半ば叫びながらポチ↓
自分が死んだトキの気持ちを、疑似体験すれば、心が、楽になるでしょ?
流れだす生バンドのえん・・・。