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この世で一番不思議な現象、「わたし」。


「目」や「耳」や「鼻」や「思考」などを使って、


ナニカ(認識対象物)があるんだなと、認識する、「わたし」。


全ての認識主体(認識する側)である、「わたし」。





その「わたし」を、「わたし」が探したが最後、絶対に見つからない、「わたし」。





そんな「わたし」の居場所を、


どうも、日本のあるお坊さんが、シってるっぽい。


だから、もう今日は呼んじゃいました。



プリーズ、ウェルカム!!


ミスター、クーカーイ!!









空海
「わたしなんてモノは、外にも内にもその間にも居ない。」





みつろう
「そうですよね。


僕たち笑スピ一行は、もう11日間もわたしを探している。



『わたしは、○○である』と言ったが最後、


その○○を認識する場所に、新たなわたしが現れるので、


原理的に、『わたしは、○○である』とは言えない。




むしろ、わたしが、○○じゃ無いからこそ、『わたしは、○○である』と言える。




なんておかしな、『わたしは、○○である』という日常会話。



『わたしは、この身体である、脳みそである、名前である、肩書きである。』?




そんなの全て、嘘である。




わたしは、その全てでは無い。わたしは、何でも無い。


わたしは、全てでは無い存在である。


そこまでは分かった。」






空海
「良いところまで、分かっているじゃないですか。


『我、ナニナニなり』というのは、とてもおかしい物言いですね。



これは、どのような状態かと言うと、


ナニカ(○○)わたし同一化しようとしている状態です。



自己同一化の状態。



わたしとは、元来、この世にあるナニでも無かったし、今も、ナニでも無い。


ナニとも同一化してはいけない、まさに、空の状態です。



全ての全てを、ただ観察する者。


それが、わたしである。」






みつろう
「えぇ。全ての、全てを観察(認識)し続けている存在こそ、


「真のわたし」だということは僕たちも分かったのですが、


認識という現象が経験として感じられるということは、


やはり、認識主体である「真のわたし」は居ることになる。



どこに居るかは分からないけど、居ないとおかしい。


でも、探すと見つからない。」




空海
「わかりますよ。


『私なんて居ない』と言ってしまえば、とても簡単ですが、


そのような体得は、理解できないはずです。




全ての全てを観察し続けているモノこそ、真のわたしなのだから、


あなたが、「わたし探し」をしている間も、ずーっと、あなたを観察しています。



見つける者を、見つけれるわけがない。


探す者を、探せるわけがない。


捕らえる者を、捕らえられるわけがない。


究極の観察者こそ、究極のわたしなのだから。





ところで、話しは変わりますが、


この時代にお招きいただき、本当にありがとうございました。


わたしは、今日のこの対談に際して、前泊しましたよね?」




みつろう
「えぇ。


平成の時代に来て下さい!と僕がオファーした際の空海サイドの条件が、


『リッツカールトンに前泊させろ』でしたもんね。」




空海
「昨日、平成の世の中を見て回って来ました。


わたしは、とても感動した。



こんな素晴らしい、魔法のような世界に日本が成るなんて、


想像すら出来なかった。



電球、自動車、飛行機、スカイツリー、パフェ、テレビ。


そのどれもが、魔法で出来ているように感じます。



なかでも、DVDにはやられました。」




みつろう
「DVD?


もうすぐ、ブルーレイにとって代わるであろう、あのDVD?


昨日、あなたが、どこでDVDを鑑賞する機会があったのかは聞きませんが、


そのDVDであってますか?」




空海
「そうです。


そのDVDです。



昨日私が、どこの駅前でDVDを鑑賞する機会を得たのかは言いませんが、


あのDVDです。



あれは、凄い。


わたしの時代に、DVDがあれば、わたしは全然苦労しなかった。」




みつろう
「あなたの時代に、DVDがあるだけで、


いったい何の苦労から解放されるのですか?


あ、言っときますけど、下ネタはやめてくださいね。」






空海
「わたしの時代、


『わたしとは、究極の観察者である』という説明をする場合、


【歌舞伎役者】と、それを【鑑賞するお客さん】という例え話をよく使った。」





みつろう
「なるほど。あなたが居た時代に、


歌舞伎があったか無かったかなんて、今は無視して、続きをどうぞ。」





空海
「歌舞伎を見ているだけの、究極の観察者であるお客こそ、真のわたし。


舞台上の役者が切られようが、舞台上で妻と別れようが、どれだけ苦しもうが、


全ての観察者であるわたし(観客)には、なんの関係も無い。



それなのに、観客のあなたは、


『わたしは主役の五右衛門である。』自己同一化を始めた。



五右衛門を見つめる究極の場所(客席)に居るからこそ


五右衛門を認識出来るのに、


『わたしは五右衛門である』と言いだしちゃった。




『わたしは、○○である』?そんなバカな話があるかい。


わたしは、説法を始めた。



究極のわたしとは、観客席に居る。




舞台で何が起ころうが、何を考えようが、何を感じようが、


それらは舞台を見つめているからこそ、認識出来たモノであり、


真のあなたと、舞台(この世の出来事)には何の関係も無い。




だから、不幸とはそもそもあなたには絶対に起こらない現象である。




あなたが、観客であったことを思い出せれば、不幸なぞ起きない!



五右衛門が切られようが、煮られようが、あなたには一切関係ない!



あなたは、その全てを観察できる場所に居るのだから。





こう、わたしは主張した。」






みつろう
「おぉ。良い話しじゃないですか!


どこに、苦労が?」





空海
「わたしが、こんな素敵な説法で、真のわたしの居る場所と、


不幸が起こるシステムを説明したのに、


一休とか言うクソ坊主が、こう聞いてきた。



舞台の刀が、間違って客席に飛んでくる場合もあるでしょ?


てことはホラ、観客と舞台の間には、やはり関連がある。


舞台で五右衛門が風呂で煮られるトキ、


五右衛門と自己同一化した観客も苦しむわけだ。ポクポクチーン♪





いっそ、このクソ坊主も、煮てやろうかと思ったが、


あの時代では、この説明がやっとだったのです。」





みつろう
「なるほど、一休さんがトンチを効かせて、


観客席のヤジは、舞台役者に聞こえるだろ!って言ったんですね。


確かにそうですよね。



すべてを、一方的に、観察するだけの場所なんて、無いはずです。



観察できているということは、舞台からも客席に影響を及ぼせるはず。


真のわたしを、舞台から探せるはずですね。」




空海
「昨日、DVDを見たトキ、


「これこそ、わたしの求めていたものだ!」と思った。いろんな意味で。




いいかい、DVDの中に居る女優が、「真のわたし」を探し始めたとしよう。



わたしとは名前では無いと気付き、その肉体でも無いと気付き、


脳みそでも無いと気付いた。



どこかに、その全てを認識出来る、真のわたしが居るはずだ!と。



女優は、カメラクルーに聞いて回った。


あなたこそ、真のわたしですか?



わたしを撮り続けている、あなたが、真の観察者ですね?と。




しかし、その女優が、そのカメラマンを認識出来ている時点で、


真のわたしは、そのカメラマンでも無いと気付いた。




女優は、頑張った。


全ての全て、わたしのこのボディの全ての全てどころか、


私が思考を使って、認識している、【この考え】さえも、見つめる、


究極の認識主体が居るはずだ!




しかし、どれだけ探しても、見つからなかった。




疲れ果てて、女優は、カメラマンに聞いた。


ちなみに、このDVD、何枚くらい売れるんですか?


え?100万枚も?わー、わたしって凄い売れっ子なんですねー。


もう、わたし探しなんてやめて、女優業に専念しよー。




わかるかい、みつろう君?



この世とは、【撮られたDVD】なんだよ。




真のわたしは、DVD鑑賞室にいる。



DVDの中で、女優が、


真のわたしをどれほど想起しても、


絶対に見つからない場所に、真のわたしが居る。




次元が違うのだよ。




それなのに、鑑賞室では、女優の全てを見ることが出来る。




この、不公平感!!!


一方的に、見つめることができる次元の存在!!!



女優がどれだけ探しても、


真のわたしが鑑賞室で何をしてるか分からないのに、



真のわたしは、女優の身体から考えにいたるまで、


全ての全てを、鑑賞できる、この立場に居る!!




そう、真のわたしとは、駅前のDVD鑑賞室に居る!!」






みつろう
「なるほど!!


女優が、どれほど探しても、真のわたしなんて見つかりませんもんね!


それなのに、真のわたしは、女優を観察できる!!



そうか、歌舞伎では説明できなかった仕組みを、


DVDなら説明できるんですね。」









空海
「女優はDVDの中で言った。


全てのわたしを認識出来るのに、わたしからは認識出来ない場所なんて、


この世にある訳が無いと。




その通りだ。


この世(そのDVD)には無い、駅前にあるのだから。





撮影された日に、真のわたしは誰だろう?と考えて、


空海かしら?なんて絶対に脳裏によぎらないだろう。



平安時代の空海が、わたしのDVDを見ているなんて思わないだろうから。


撮られたDVDから、見ている鑑賞者を特定することはそのくらい難しい。




女優は真のわたしを探せない。


真のわたしは、女優の全てを鑑賞できる。





次元の違いの概念を、こんなに簡単に説明できるDVDがある現代で、


真のわたしの居場所に気付けない方がおかしいぞ、みつろう君。




説明したくても説明できなかった、平安時代の私の苦労を考えたまえ。


ちょっと、一休のガキでも呼んでこようかな、現代に!!」







呼んでみようかなって言うから、一休さんも呼んでみた。







一休
「空海さん、なるほど。


このDVDとは、本当に素晴らしい。いろんな意味で。



あなたが、あの日、歌舞伎で説明できなかった次元の違いを説明できる。



そういうことだったのか。


この世は、撮られたDVDである。


真のわたしは、鑑賞室で、ただただ全ての全てを観察するモノである。





ポクポク、チーン。


あれー、おしょーさーん?


ということは、鑑賞室のわたしは、


この撮られたDVDの演出を変更できないですよね?



全てを、ただただ観察することしか、真のわたしには出来ない。


口出しも、変更も、アドリブも絶対に出来ない。


何故なら、既に撮られたDVDなんだから。



おかしいなー、本当のわたしって、そんなに不自由かな~?」







空海
「く、クッソー!!!



あの日、やっぱり煮ておくべきだったか、クソ坊主―!!!


またしても、くだらないトンチをー!!









などと、言うと思うかい、一休よ。




ッフ。


おぬしともあろうものが、ぬかったな。




貴様が行ったDVD鑑賞室では、DVDが数本しか無かったのだろう!


どこだ?さては池袋に行ったな?



ばーかめ!!!




渋谷のDVD鑑賞室に行ってみろ!!


DVD,見放題なり!!


無数のDVD、見放題なり!!




そう、本当のわたしとは、


DVDを何本もチェンジし続けることが可能な立場にあるのだよ!!


全然、不自由な立場では無いわ!!


どんなストーリーでも自由に見れる!!


全ての物語を体験できるし、それでいて、一方的な鑑賞者になれる!





ワーッシャッシャ!!


いまこそ、積年の恨み、果たしたリー!!」






なんか、坊さん同士の醜い争いになったから、強制帰国させました。


めんどくさいし。






まぁ、エロ坊主たちが言ってることは、簡単。


真のわたしとは、ただただ全てを鑑賞するだけの存在である。



その場所、「わたし」が探し出すことは出来ない。



「わたし」とは、もう既に撮られたDVDの中に居る。




誰が、いま、このDVDを見ているのかなんて、「わたし」にはわからない。


真のわたし、「わたし」は捕らえることは出来ない。





「わたし」とは、撮られたDVDを鑑賞している、真のわたしが、



「わたしは、○○である」と勝手にナニカと自己同化したために生まれたモノ。




だから、DVD鑑賞室に居る、真のわたしこそ、真のバカである。



DVD鑑賞室に居る時点で、真のバカである。






僕たちが、普段、感知できるのは、「わたし」だけである。



真のわたしに目覚めるためには、


「わたしは、○○である」という同化を全てやめること。



本当は、ナニカと自己同化してはいけない存在こそ、真のわたしだから。



自己同化出来ない場所に、真のわたしが居るのだから。





真のわたしを、「わたし」には絶対に探せないのであれば、


逆に言えば、


真のわたしを、「わたし」やこの世の出演者たちが、


絶対に傷つけることは出来ない。




真のわたしは、絶対的に安全である。





「わたし」が刺されると死ぬほど痛い。


でも、その痛みを認識する場所に、真のわたしが居る。



刺されて、「いたーイ、いたーい!!」と泣き叫ぶのは「わたし」である。



真のわたしは、それをただただ、見つめている。




真のわたしは、刺されない、


刺されている「わたし」を認識するのが、真のわたしだから。



真のわたしは、痛まない。


痛んでいる「わたし」を認識するのが、真のわたしだから。





真のわたしは、「わたし」から一切干渉出来ないくせに、


向こうは、勝手に、DVDのナニカと同化して、「わたし」を生み出す。





とにかく、イラ立つほどに、真のわたしは、真のバカで、真の安全である。






(⇒明日に続く⇒)






↓あなたが、真のわたしを探しに、駅前のDVD鑑賞室に行っても、


無意味ですよ。


そこには、真のわたしなんて居ません。


空海と一休が居るだけです。




そういうことを言ってるんじゃない。


真のわたしとは、「わたし」には、絶対に検出されない場所に居るよということ。


「わたし」からは、見えないし、聞こえないし、考えられないし、


匂えない場所に、真のわたしが居る。




検出できない、だけど居る。




明日は、その真のわたしを捕らえる方法を伝授します。


打倒、真のバカ!


真のバカを目覚めさせるの会。



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