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「わたしはいない」



昨日、そのような表現に帰結しました。




まぁ、「わたしはいない」なんて、


天地がひっくり返るくらいの重大発表なんですが、


みなさんは、別になんとも思わなかったことでしょう。





なぜか。





「わたしがいない」なんて感じた瞬間が無いから、


どれだけ、「わたしなんていないんだぞ!」と言われようと、


なんとも思わないわけです。






それでも、あなたの胸ぐらをつかんで、


「わたしなんて居ないんだ」「わたしなんて居ないんだ」と強引に説得して、


あなたが、「っは!私なんて居ない!」と悟ったとしましょう。





でも、「っは!わたしなんて居ない!」と思っているのは、


まぎれもなく「わたし」なんだから、


やっぱり、「私なんて居ない」は響かないでしょう。





そして、そこが、大事なポイントなんです。






「わたしが居ない」なんて、「わたし」が感じることは出来ない。






昨日まで9日間も、「わたし」を探し続けて、


達した答えは、【どう考えても「わたし」は居ない。】。


「わたしは居ない」以外に答えはあり得ないのに、


「わたし」を感じちゃう。




逆に考えれば、


あなたは、普段、そのままで物凄い奇跡体験をしていることになる。





どのような方法をとっても、「わたし」なんて説明できないのに、


そんな奇跡の現象「わたし」が常に起こり続けている。




一秒たりとも、引き起こせないはずの、奇跡の「わたし」を、


もう数十年間ずーっと感じ続けている。





っよ!!わたしマスター!!







もし、何かの拍子で、「わたし」という感覚を完全に失ってしまったとしよう。




あんなに、楽しかった「わたし」。


もう一度、「わたし」を体験したい!!


あの鐘を、鳴らすのは、わたーし♪





エーイ!!


ソリャー!!!


「わたし」よー、起これ!!





しかし、どう頑張っても、「わたし」なんて引き起こせない。


だって、「わたし」の原理が説明できないんだから。






間違って壊してしまった親父の時計くらいなら、


こっそり時計屋さんに持って行けば直るだろう。




でも、万一、「わたし」を失ってしまったら、


もう一度、「わたし」を引き起こすことなんてできない。




そのくらい、奇跡の現象を、数十年間起こし続けている、あなたに、


「わたし」を、おっちょこちょいで失ってしまった人が、


インタビューしたいそうです。







田和氏
「わたしマスターのあなたに聞きます。


「わたし」ってどういう感覚ですか?


教えてください。


「わたし」の感じ方を教えて欲しいんです。」






さぁ、わたしマスターの出番です。



「わたし」を感じることが出来ない人が、


どんなときに「わたし」を感じるのですか?と聞いてきた。




胸を張って、答えようじゃないか!!





わたしは、「わたし」を感じなかった瞬間が無いくらい、


「わたし」を感じることのプロなんだ!!





わたし
「かわいそうに。わたしを感じたことが無いんですか?


そうですか。



花を見たトキ、「わたし」が花を見たと、「わたし」を感じます。えぇ。


ハンバーグを食べたトキ、「わたし」が味わったと、「わたし」を感じます。えぇ。


ナニカを認識しているトキ、「わたし」を感じることが出来ます。えぇ。」








そうなんです。



ナニカを認識しているトキに、「わたし」は現れます。





花という認識対象物が現れたトキに、


それを認識する主体として「わたし」が現れる。




ハンバーグという認識対象物が現れたトキに、


それを認識する主体として「わたし」が現れる。




そして、連続して「わたし」を感じ続けているということは、


連続してナニカを認識し続けているということ。





視覚で、嗅覚で、聴覚で、触覚で、味覚で、感覚でナニカを認識したトキ


それを認識するモノとして「わたし」が現れます。









っは!!!!








ということは、認識していないトキは、「わたし」が居なくなる!!!





やってみよう、やってみよう!!








よーし、目をつぶり、視覚を消すぞ!!


サイレンス機能付きのイヤホンで、聴覚を消すぞ!


周りに、納豆の軍艦巻きが無い場所に行って、嗅覚も消すぞ!


ガム噛んでないから、味覚なんて無い!


床に触れてる感覚は、テンピュールシートが吸収したから、触覚も消えた!





よっしゃ、ナニカを認識していない状態が生まれた!!






見てないし、聞いて無いし、匂って無い!





「わたし」よー、消えろ!!




あれ?なぜだ?





それでも、「わたし」がまだいる!!


振り返れば、奴が居る!!





外界を認識するための感覚器官をすべてふさいでも、


「わたし」は消えません。




思考が残るからです。








思考とはなんなんでしょうか?


ひょっとして、思考こそわたしの正体なんでしょうか?






いいえ、違います。








外側を認識するのが感覚器官なら、


思考とは、内側を認識する機能です。






何か考え事をしているトキの、


あなたを思い起こしてみればわかると思いますが、


何かを考えているということは、考えの対象が在るはずです。






「ハンバーグ美味しかったなー」という思考があったとしましょう。



このトキ、思考という感覚器官を使って認識を行っています。





認識対象は、【ハンバーグ】や【美味しかった】などです。




【ハンバーグ】【美味しかったなー】と思考する、わたし




思考という感覚機能を使って、それらを、認識しています。



ということはやはり、


思考のその先に、認識主体である【本当のわたし】が居るわけです。






外界を認識するトキ、味覚や視覚などの感覚器官を使って、


ハンバーグを認識し、



内側を認識するトキ、思考という感覚を使って、


ハンバーグを認識します。





同じなんです。






外側にある(と思い込んでいる)認識対象物も、


内側に想起する認識対象物も、


結局、認識主体(真のわたし)が認識しているモノたち。






空海が、「わたし」なんて外側にも内側にも、その間にも居ないぜ!


と言ったのは、このことです。







日本が誇る、天才児、空海!



ヨーロッパあたりの哲学者が、「わたしとは、思考である」と言ってた頃、


空海はそんなことを言ってのけていた!



ビバ、ヤマト!





だいたい、「わたしとは思考である」ってのは、


「わたしとは目である」「わたしとは耳である」と同義。




思考は、ナニカを認識するための器官や手法であり、


断じて、認識主体なわけがない!






それらを使った先に、認識主体さまがおられる!




思考を使って、目を使って、鼻を使って、ナニカ認識される、お方が!




そしてそのお方は、内にも外にもその間にも居ないときている!!



じゃあ、いったい、そいつは、どこに??






明日、空海さんにでも聞いてみましょうか。






(⇒明日に続く⇒)





↓「わたし」を引き起こすことは原理的に出来ない。


それなのに、あなたには、常に「わたし」が起こり続けている。


すっげーぞ、わたしマスター!!!


行け!わたしマスター!!!



(オッホン)




全ての認識主体である、わたし。


ナニカを認識するための手法が、目だろうが、耳だろうが、思考だろうが、


結局、その先にナニカを認識する、認識主体が居るはず!



どこだー??出てこーい!!!



空海さんに任せときゃ、明日、出てくるかもね。




↓今日は、したの二つのボタンを押す際、


「外にも、内にも、その間にも、わたしは居ない!」と言いながら、ポチ↓ポチ↓



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