虹初めてお越しの方はブログの目次(⇒ココ) 虹








デラックス

「おい、この「わたし探しシリーズ」も9日目。


昨日、わたしとは全てであるって言ったじゃねーか。


それなのに、今日のタイトルは、わたしはいない


行ったり来たり、やったりやられたり、もういい加減にしろ!」






みつろう
「なんで?


私はいないって有名な話しじゃん?


ブッダが伝えたことはただ一つ、無我でしょ?


わたしなんていないってことを、伝え続けたんでしょ?」





デラックス
「わたしがいない?


わたしは、居るわよ!



おめー、私が居ないなんて感じた瞬間があるのかよ?




テキトーなこと言ってんじゃねーぞ。


だいたい、ブッタが言ったから正しいなんて、おかしいぞ。


アイツのヘアースタイル見てみろよ!


頭にブツブツいっぱいつけて、正気の人間のする事では無い!」














あなたが、「わたしとは、この身体である」と言い、


【この身体】こそ、「わたし」だと思ったとしましょう。




ただ、認識された【この身体】を、


認識している側に本当のあなたが居るはずなので、


あなたは、【この身体】ではありません。





そしてもし、この世にあるモノを、


【特定のナニカ】と【特定のナニカ以外の全て】の二つに分類出来るのなら、


【この身体】【この身体以外の全て】に二分出来ます。





いま、本当のあなたは、【この身体】では無かったので、


【この身体以外の全て】こそ、本当のあなたになります。…①





しかし、普段あなたは、「この身体こそ、わたしである。」と思ってるのだから、


【この身体】もあなたになります。…②




ということは、この世の全て(①+②)は、わたしである。になります。





昨日、そう言いましたし、これは、間違っていません。真理です。


あなたは、全てです。






ただ、【この身体以外の全て】がわたしだと、思える?


たぶん思えないはずです。






思えない理由は簡単。


この世にあるモノを、【○○】と【○○以外】の二つに分けるという前提が、


そもそも、破綻している。




この世にあるモノの時点でわたしに認識された後のモノだから。


この世にあるモノは、すべてわたしが認識出来るんだから。






だから、すでに認識された後のモノを、二分しても意味ないんです。



【わたし】以外のもう一方の【この世にあるわたし以外の全て】も、すでに


本当のわたしによって、認識された後の、認識対象物だから。


そこにも、真のわたしはいない。





ということは、本当のわたしは、


【この身体】も認識しているし、【この身体以外の全て】も認識している。





もっと、別の場所にいる!!!


全ての全てを、認識できる場所に!!







デラックス
「おいおい、じゃあ、昨日やった、


わたし以外の全てとして、わたしを見るメソッドは、


まったく意味無いんかい!!」






意味あります。







インドの、マハルシっていう聖者(カレー屋さん2)が言っています。


「わたしはこれじゃなく、それである」と思うことは自己の探求に役に立つ。


って。




だから、「あなたは、あなた以外のすべてじゃメソッド」は、やるべきです。


「わたし」を、わたし以外の全ての目で観察し続けるべきです。




実際、みつろうも、わたし以外の全てとして、わたしを見つめたトキ


凄い感覚に包まれましたから。




あれは、非常に優秀なメソッドです。ほんと、オススメ。





ただ、もう一歩が足りない。






なぜなら、認識された後のこの世二つに分けてるから。




「このわたし」では無いぞという目で世界を見ることは出来るけど、


それ以外の全てですら無いぞという目線にまでは至らない





【わたし以外のこの世の全て】も、本当のわたしは認識しているから。


真のわたしには、一歩足りない。







デラックス
「じゃーもう、この世にはわたしなんて、絶対に居ないじゃないか。」







わたし、とは認識するモノなのだから、


あの世だろうが、この世だろうが、


「わたし」が想像できるモノは、すべて、わたしではない。




想像しているモノこそ、わたしだから。





想像出来たモノ、


言葉にされたモノ、表現できたモノ、


モノというモノの全ては、わたしではない。


それらを認識するモノが、わたしなのだから。







「わたしは○○である」という表現は根本的におかしいと言った。




【わたし】が【○○】じゃ無いからこそ


【わたし】は、【○○】を認識出来るのだから。





だから、「わたしは○○である」とは絶対に言えない。







一方、「わたしは、△△じゃない」とインドのカレー屋さん1は言った。


これは、表現においては確かにOK。




でも、この世にある全てのモノ(A⇒Z)を、


一つずつ、「に非ず、に非ず」攻撃で


「わたしはAじゃない」から始めて、


最後の最後のモノ「わたしはZじゃない」までを行えば、


消去法で、最後に残った、「真のわたし」が現れるのだろうか?




わたしじゃ無いモノを、全て消したのだから、真のわたしが残るのではないか?





これも、否である。





なぜなら、この世の全てのモノを、「わたしじゃない」と言って来たのなら、


『「わたし」は、わたしじゃない』も通ってきたはずなので、


その時点で、色んなものが壊れてしまう。





「わたしは○○である」とも言えず、「わたしは○○じゃない」とも言えず。






だから、結局、「わたし」については、どんな言及もできないのだ。






「わたし」には、真のわたしなんて探せないのだ。





究極のわたしがどこかに居るかもしれないけど、


それを、「わたし」が探すことは出来ないのだ。





だから、「わたし」の意見としては、「わたしなんて居ない」GOALになる。






(⇒明日に続く⇒)





↓わたしは、探せないんだよ、探しているのがわたしだから。


わたしを発見することが「わたし」には絶対に出来ない。


だから、「わたし」なんて本当はいないんだよ。



ごめんね、また振り出しに戻しちゃって。


だいたい、3~4日目くらいに戻っちゃったね。


「わたし」はいないって。



明日は、「わたし」は居ないのに、


わたしが居るとしか思えない僕たちの、モノガタリ。



↓今日は下の二つのボタンを押す際、


「わたしはいない」と言いながら、ポチ↓ポチ↓






人気ブログランキングへ ★  ★にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ  


携帯電話用応援クリック①(日本ブログ村)


携帯電話用応援クリック②(人気ブログランキング)