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昨日言いましたが、
この世には、一方的に働く力なんてございません。
力の作用・反作用と申しまして、
カベをあなたが40MP(メガトンパンチ)のパワーで殴ったなら、
そのトキ、
カベもあなたを40MP(メガトンパンチ)のパワーで殴っています。
のれんに腕押しってことわざ、シってる?
あなたが、のれんに、
40MPのちからで、もたれかかったら、
あなたは、そのまま、転びます。
なぜか?
のれんは、あなたを、40MPの力で、押さないからです。
物理学で計ると、そこには、そもそも、40MPの力が存在していません。
精密に言うと、
どうして40MPの力が発揮できるのかと言うと、
40MPの力を受け止めてくれる力があるからです。
どうしてプロレスラーがゴツクなれるかというと、
プロレスラーを受け止めてくれる力があるからです。
全日本プロレスの存続は、新日本プロレスがいるからなんです(?)。
プロレスなんて見た事もないみつろうは、
上の例えが、自分でも、まったく意味が解らなかったので、
もういちど、言います。
どうして40MPの力が発揮できるのかと言うと、
40MPの力を受け止めてくれる力があるからです。
どうして、誰かを嫌えるかと言うと、
誰かがあなたを同じだけ嫌ってくれるからです。
「あなた」が外に向かって、40KP(キライパワー)を発揮出来るのは、
同じ量の、40KPで、周囲が「あなた」を押してくれているからです。
押す力を支えるだけの、
同じ量の押し返す力が必要です。
そこに、「押す」という幻想(行為)が生まれます。
あなたが、「死ね」と思えるのは、
同じ量の「お前も死ね」という押し返してくれる力があってくれてこそなのです。
同じ量の「お前も死ね」が抵抗(押し返して)してくれないと、
そもそもあなたは、「死ね」とすら思う事が出来ません。
もう一度言いますが、
押したトキ、
それと同じ力で押し返してくれる存在が無いと、
押すという行為に力を与えることすら出来ません。
そもそも、「押す」すら存在していなかったことになります。
エゴからの視点で、あなたは、「押した」と思うかもしれませんが、
「押さされた」とも言えます。
ただただ起こっている現象を、
なぜか勝手に、一方的などちらかの方向から見つめる事こそ、
この世の仕組みです。
「押した」と思い込める力と同じくらいの力で、
「押させた」と思い込める力が存在します。
とにかく、全ては同時に起きていますし、
この世では、どうやっても、一方的な力が存在できないんです。
で、昨日、たまたま道を歩いていたダケなのに、
イキナリほっぺたを殴られた人。
コブシがほっぺたに当たった瞬間、
ほっぺたは、同じ力でコブシを殴っていると言いました。
それが、力の作用・反作用ですよね。
ただ、人間は、一方的な見方をしますので、
「コブシがほっぺたを殴った。」
「イカレタ野郎が、暖かくなったから出てきて、犯行におよんだ。」
って言いますよね。
間違えても、
「ほっぺたでコブシを殴った。」
「イカレタ野郎に出会うために、暖かさを感じで、現場に急行した。
コブシの繰り出された瞬間に、ほっぺたは間に合った。」
とは言いません。
「昨日、ネットで力の作用・反作用を調べて、わかった。
衝撃が起こった瞬間は、確かにほっぺたもコブシを殴っていた。
その瞬間だけを見たら、どちらが悪いとは言えない。
だって、ホッペだって、同じ力で殴ってんだから。
でも、その瞬間までの経緯を踏まえると、
どう考えたって、コブシの方が、悪い!」
そこに、一昨日の、位置エネルギーが出てくるんです。
どうしてあなたが殴られたのかと言うと、
殴られた瞬間に、踏ん張っちゃったからです。
のれんを殴っても、そこに衝撃は生まれません。
踏ん張らなければ、コブシと伴に、同じ方向に移動できたはずです。
映画『コブシと伴に去りぬ』です。
⇒40MPコブシ ⇒40MPホッペタ
コブシ
「ワッハッハー。キレイな風景だねー、ホッペさん。」
ホッペタ
「オッホッホー。流れる景色がたまらないね、コブシさーん。」
コブシとホッペタのツーリングで、終わりです。
でも、あなたが、踏ん張ったせいで、
あなたは、コブシに40MPのパワーを与えました。
重要なんで、もう一度言います。
あなたが踏ん張ったせいで、
あなたは、コブシに40MPのパワーを与えました。
あなたが、コブシに、パワーを与えたのです。
「そうか、私が悪かったのね。
私が、『コブシと伴に去りぬ』になっていれば、
ただの有名な映画のままで終わったのに、
私が踏ん張っちゃったせいで、
私が、コブシにパワーを与えたのね。
私の、バカバカ。
どうして、踏ん張っちゃったんだろう!!!」
それが、位置エネルギーです。
位置エネルギーとは、あなたが保有している莫大なエネルギー。
あなたを、あなたたらしめているエネルギーです。
踏ん張るエネルギーです。
踏ん張らされちゃうエネルギーです。
あなたを、これまで、その場所に運ぶために費やしたエネルギーと、
同じだけのエネルギーをあなたは、位置エネルギーとして保有しています。
ということで、一昨日から、ものすごーく長くなりましたが、
何かに抵抗を感じたトキは、
①まず初めに、
わたしがコブシ(苦しみ、悩み)にパワーを与えている。
と感じてください。(物理的に証明されている)
だって、あなたが踏ん張らなければ、
『苦しみとともに去りぬ』で終わっていたはずです。
去りぬというか、苦しみすら始まっていなかったはず。
②次に、
「わたし」をここまで運んできた全てのエネルギーと同じ量を、
私は位置エネルギーとして保有している。
つまり、
「わたし」を「わたし」たらめている全ての要素こそ、
踏ん張りの素(抵抗の源、苦しみの源凶)だと感じてください。
全ての「わたし」たるものこそ、源凶だと。
それだけです。
だから、
①私が苦しみにパワーを与えている元。
②「わたし」たらしめている全ての要素が源凶。
③すなわち、「わたし」が無ければ良い。
って。
まぁ、長くなって、皆さん以上にみつろうがつかれましたので、
もう、辞めときます。
だから、物理って、嫌いです。
高校で、図工を選択した理由です。
↓あなたを、あなたたらしめているエネルギーこそ、位置エネルギー。
位置エネルギーは、踏ん張るエネルギー(周囲に抵抗するエネルギー)。
何かを形成したエネルギー(と同量の反エネルギー)。
力は一方的には起きないので、踏ん張りが無ければ、
何も起きない。
何かが起こっているなら、
あなたが、それに、力を与えているから。
内力と外力は均衡に釣り合う。
「あなた」に、外と内が、もし存在するなら、
与えたモノが、受け取るモノ。
押す力を支えるだけの、同じ量の押し返す力が必要です。
そこに、初めて、行為という幻想が生まれます。
外を、嫌えることに感謝。
外を、愛せることに感謝。
同じ量の力で、押し返してくれるんだから。
押し返してくれるから、「経験」ができるのだから。
幻想が楽しめるのだから。
もう少し、幻想、楽しもうぜ。
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